トム・グラビン。 ジョン・スモルツ

トム・グラビン

トム・グラビン

職業・肩書 元大リーグ選手 国籍 米国 生年月日 1966年3月25日 出生地 マサチューセッツ州コンコード 本名 Glavine,Thomas Michael 受賞 ・ヤング賞〔1991年・1998年〕 経歴 1984年MLBドラフト2巡目指名でブレーブスに入団。 この時、NHLのキングスからもドラフト4巡目指名を受けた。 2000年8月対アストロズ戦で大リーグ史上96人目となる通算200勝を達成。 同年21勝で5度目のナリーグ最多勝。 2002年までに14年連続、通算では18回の2ケタ勝利を記録した。 2003年FAでに移籍。 2007年8月対カブス戦で史上5人目の300勝を達成。 2008年ブレーブスに復帰し、2009年はマイナーでリハビリ登板を重ねていたが、同年6月電撃解雇される。 2010年2月正式に引退表明し、合わせてブレーブスのフロント入りを発表。 ブレーブス時代の背番号47は永久欠番。 140キロ前後の速球、オーソドックスな左上手のフォーム、制球力と緩急に優れた技巧派左腕で、1990年代のブレーブスの黄金期を支え、メジャー22年間のうち17年間をブレーブスで過ごした。 通算成績は、22年682試合登板、305勝203敗0セーブ、2607奪三振、防御率3. 通算682試合登板は全て先発だった。 弟のマイクも1年だけメッツに在籍し、2003年にチームメイトとなった。 2014年米国殿堂入り。 出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」 現代外国人名録2016について.

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トム・グラビン MLB史上23人目の300勝を達成

トム・グラビン

トム・グラビン MLB史上23人目の300勝達成おめでとう!! 【8月5日 AFP】07MLB ニューヨーク・メッツ(New York Mets)vsシカゴ・カブス(Chicago Cubs)。 試合は、メッツが8-3でカブスを降した。 立ち上がりを順調な投球で乗り切ると、2回表に迎えた第1打席でグラビンは中前安打を放ち、走者のラスティング・ミレッジ(Lastings Milledge)が先制のホームイン、1-0と自らのバットでリードを奪った。 グラビンは、7回1死の場面でカブスの7番打者アンヘル・パガン(Angel Pagan)に二塁打を浴びて6安打2失点1四球1奪三振の内容で後続にマウンドを譲ることになったが、観客からスタンディングオベーションで迎えられた。 9回から6番手としてマウンドに上がったチームメイトのビリー・ワグナー(Billy Wagner)が最後のアウトを取った後、グラビンはウイニングボールをワグナーから受け取った。 「勝てれば十分だ」と試合前に語っていたグラビンは、「もし(このような記念となる試合を題材に)ハリウッドの脚本を書くんだったら、完全試合やノーヒット・ノーランか1安打完封といった内容にするだろう。 でも僕は、どのような形で勝利を手にしてもそれを受け止めるよ。 もし選択権があるのなら、その勝利を誇れるようないいピッチングで飾りたいだろうけど、どうやってその勝利を手にしたかなんて僕は次の日には気にしないよ。 」と、投球内容よりも『300勝』を意識するコメントを述べた。 次にニューヨーク・ヤンキース(New York Yankees)のマイク・ムシーナ(Mike Mussina)が246勝、続いてパドレスのデビッド・ウェルズ(David Wells)が235勝を挙げているが、グラビンはこう予想する。 「ランディが記録の目の前にいるのは明らかだよね。 でも彼の健康を考えると、それはちょっと待ってみなきゃいけない。 ゲームには才能を持った選手がたくさんいるよ。 ただ、彼らが18、19、20年と健康を維持できるかが重要なんだよ。 そこが問題なんだよね。 20年前なんか、誰も僕のことなんて注目していなかったよ。 だから今はレーダーに反応していなくても、数年後にはみんなが注目するような選手が現れることに僕は確信を持っているよ。 」と次世代の選手たちにエールを送った。 左投げ左打ち。 目 次 1 経歴 1. 1 ブレーブス時代 1. 2 メッツ時代 2 特筆すべき点 3 年度別成績 4 脚注 [1] 経歴 [1.1] ブレーブス時代 1984年の6月にドラフト2巡目でアトランタ・ブレーブスに指名を受け、入団。 1987年にメジャーデビューを果たす。 1987年は2勝4敗、1988年は7勝17敗と今ひとつの成績だったが、1989年に14勝8敗の成績を残し、ブレーブス先発ローテーションに定着する。 この年にジョン・スモルツも12勝11敗で才能が開花している。 1990年は10勝12敗とパッとしなかったグラヴィンだがサークルチェンジを習得したことが要因で、翌1991年は20勝11敗、1992年は20勝8敗、1993年には22勝6敗と3年連続の20勝以上をマークし、3年連続最多勝のタイトルを獲得。 1991年には初のサイ・ヤング賞のタイトルを獲得する。 1993年には、グレッグ・マダックスがシカゴ・カブスから移籍してきたこともあり、グラヴィン、スモルツ、マダックスのブレーブスの黄金先発三本柱が完成。 1995年から1999年までの5年の間、3人とも5年連続10勝以上を達成するなどブレーブスの14年連続地区優勝の原動力となった。 この間、グラヴィンは1998年に20勝6敗で最多勝とサイ・ヤング賞の2タイトルを獲得。 マダックスも1995年に19勝2敗、防御率1. 63という驚異的な成績で最多勝と最優秀防御率、サイ・ヤング賞の3タイトルを1998年には最優秀防御率 2. 22 のタイトルを獲得。 スモルツも1996年に24勝8敗、276奪三振で、最多勝、最多奪三振、サイ・ヤング賞の3タイトルを獲得している。 97年には先発陣にケビン・ミルウッドが加わりさらに厚みを増した。 その後、スモルツが肘の故障でシーズン絶望となった2000年には、グラヴィンは21勝9敗で5度目の最多勝のタイトルを獲得している。 [1.2] メッツ時代 2002年、それまで18シーズンをブレーブスで過ごし、生え抜きの人気選手として活躍していたグラヴィンだったが、この年の新労使交渉の際にナ・リーグ選手代表としてストライキをちらつかせながらオーナー側と交渉に当たったことでファンの憎しみを買うことになる。 特に登板の合間を縫って交渉に当たるグラヴィンのニュース映像が繰り返し流されたことなどが「今回の騒動の張本人」という印象をファンへ植え付けることになり、遠征先はおろか本拠地の登板でも強烈なブーイングを浴びるようになってしまう。 結局ストは回避されたが、これが大きな原因となってグラヴィンはFA移籍でブレーブスから出る決断をすることになった。 2003年に満を持してニューヨーク・メッツにFA移籍するも、「メッツの獲得したスター選手はなかなか活躍できない」というジンクスに見事にはまってしまい、9勝14敗に終わる。 2004年も防御率こそ改善するも11勝14敗と負け越し。 しかしながら2005年は先発陣に故障者が続出するなか、ペドロ・マルティネスと共に先発ローテーションを死守。 13勝13敗でチームをポーストシーズン争いに踏み止まらせた。 2006年は8月に指先の冷えで検査入院(左肩で血栓が見つかったものの大事には至らなかった)するものの、メッツ移籍後初の15勝を記録した。 これはこの年のナ・リーグ最多勝(16勝)にひとつ足らないだけであり、40歳を過ぎてもなおメジャートップクラスの実力を維持していることを証明してみせた。 [2] 特筆すべき点 体格やストレート フォーシーム のスピードは、日本人と変わらない。 グラヴィンのストレートは140㎞前後で最速でも145km手前 しかし、その抜群の制球力は「世界最高の技巧派左腕投手」と表されるほどで、よく元チームメイトのグレッグ・マダックスと並び称される。 ちなみに、変化球はカットボール、ツーシーム、カーブ、シンカー、サークルチェンジなど。 ゴールドグラブ賞は受賞経験無しだが、守備、牽制も上手い。 ただ、マダックスのように三振をとれないことが弱点。 しかし、最多勝タイトル獲得5回は、ウォーレン・スパーン(8回)、グローバー・アレクサンダー(6回)、ボブ・フェラー(6回)、ウォルター・ジョンソン(6回)に次ぐ5位タイ。 2007年8月5日のカブス戦で史上23人目の300勝を達成した[1]。 打撃の上手い投手としても有名で1991年、1995年、1996年、1998年の4回、シルバースラッガー賞を受賞している。 犠打も上手く、201犠打(2006年終了時点)は現役2位。 2001年には最多犠打も記録している。 高校時代はアイスホッケーと野球を両立させ、1984年のドラフトではNHLのロサンゼルス・キングスから4巡目で指名を受けている。 また、試合後タクシーで帰宅中に事故に遭い、前歯を折るという不運にもあっている投手でもある。 1987年にデビューしてから今まで一度も中継ぎ登板をしていない。 [3] 年度別成績 年 球団 勝利 敗戦 防御率 試合 先発 セーブ 投球回 被安打 失点 自責点 被本塁打 四球 奪三振 1987 ATL 2 4 5. 54 9 9 0 50. 1 55 34 31 5 33 20 1988 ATL 7 17 4. 56 34 34 0 195. 1 201 111 99 12 63 84 1989 ATL 14 8 3. 68 29 29 0 186. 0 172 88 76 20 40 90 1990 ATL 10 12 4. 28 33 33 0 214. 1 232 111 102 18 78 129 1991 ATL 20 11 2. 55 34 34 0 246. 2 201 83 70 17 69 192 1992 ATL 20 8 2. 76 33 33 0 225. 0 197 81 69 6 70 129 1993 ATL 22 6 3. 20 36 36 0 239. 1 236 91 85 16 90 120 1994 ATL 13 9 3. 97 25 25 0 165. 1 173 76 73 10 70 140 1995 ATL 16 7 3. 08 29 29 0 198. 2 182 76 68 9 66 127 1996 ATL 15 10 2. 98 36 36 0 235. 1 222 91 78 14 85 181 1997 ATL 14 7 2. 96 33 33 0 240. 0 197 86 79 20 79 152 1998 ATL 20 6 2. 47 33 33 0 229. 1 202 67 63 13 74 157 1999 ATL 14 11 4. 12 35 35 0 234. 0 259 115 107 18 83 138 2000 ATL 21 9 3. 40 35 35 0 241. 0 222 101 91 24 65 152 2001 ATL 16 7 3. 57 35 35 0 219. 1 213 92 87 24 97 116 2002 ATL 18 11 2. 96 36 36 0 224. 2 210 85 74 21 78 127 2003 NYM 9 14 4. 52 32 32 0 183. 1 205 94 92 21 66 82 2004 NYM 11 14 3. 60 33 33 0 212. 1 204 94 85 20 70 109 2005 NYM 13 13 3. 53 33 33 0 211. 1 227 88 83 12 61 105 2006 NYM 15 7 3. 82 32 32 0 198. 0 202 94 84 22 62 131 通算 20年 290 191 3. 46 635 635 0 4149. 2007年8月5日現在300勝に近い現役投手としてはランディ・ジョンソン(43歳)の284勝、マイク・ムッシーナ(38歳)の246勝がいる。 selected entries• 583• 119• 101• 2 archives• 112• 102• 144• 136• 151• 102• 160• 164• 67 recent comment• アンジェリーナ・ジョリー、「激やせの理由は?? (動画)ハリー・ポッター大麻で逮捕・・いけません。 ベゼルG200もガッカリ。

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トム・グラビン 通算成績

トム・グラビン

背番号47 ATL 1987-2002 -NYM 2003-2007 -ATL 2008 通算成績 682試合 305勝203敗 3. 54 2607 WAR66. 7 獲得タイトル:2回、利5回、4回 1998年 33試合 20勝6敗 2. 47 157 WAR4. 8 2014年に得票率91. 背番号47はのに指定されている。 全盛期は、、スブ・エイブリーらの強力な先発ローテーションの一員として活躍し、王朝を築き上げた。 フォーシームの球速は平均145キロ弱とそこまでのスピードではないが、球界屈指と謳われたとのコンビネーションで打者を翻弄した。 球種は、Hスライダー スライダーとを投げていたが5球種だと流石に強すぎるので統合 、カーブ、オリ変の 落差はそこそこに調整、スプリットチェンジの球速がかなり遅いバージョンに近い。 ポイントの関係で打撃能力までは上げれなかったのはいささか反省。 13600 80552 05930 作成選手一覧はから tigpawapro.

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