ヨルシカ 思想犯 考察。 ヨルシカの新曲 他人に優しいあんたにこの孤独がわかるものかと嘆く主人公の心情を描くか|音楽情報バイラルメディア「EVENING」|note

ヨルシカ 憂一乗 歌詞

ヨルシカ 思想犯 考察

楽曲の基本情報 今回紹介する「ノーチラス」は、ヨルシカの第2弾アルバム「エルマ」の収録楽曲になっています。 このアルバムは前作「だから僕は音楽を辞めた」の主人公の青年 エイミー から送られてきた手紙に影響を受けた女性、エルマが手がけたという設定の楽曲14曲が収められています。 収録楽曲は以下。 車窓 02. 憂一乗 03. 夕凪、某、花惑い 05. 湖の街 06. 神様のダンス 07. 雨晴るる 08. 歩く 10. 森の教会 11. 声 12. エイミー 13. 海底、月明かり 14. ノーチラス これらが「エルマ」に収録されている14曲なのですが、これらは全てエルマという女性 MVの女の子 目線で歌われています。 「深い眠りから覚める曲だよ」と彼が話した三年前の一瞬を、ずっと覚えています。 ずっと愛しています。 皆様にとっても、朝日の射すような作品になってくれたら幸せです🌅! 収録されているのも最後であり、物語的にも結末をイメージさせる印象が強い本楽曲ですが、正体はまさかの 「はじまりの曲」だったのです。 何でもn-bunaさんがヨルシカとして最初に描いた作品だとか。 では、さっそく楽曲考察に移っていきます。 と言いたいところですが エルマとエイミー MVで登場する男の子 のストーリーを全く知らない。 という方の為に、最低限押さえておきたいエルマとエイミーにまつわるストーリーのポイントを紹介します。 エルマとエイミーは互いに想い合っていた• エルマとエイミーは一緒に音楽をしていた• 想い合いつつも二度と会えない状況にある これらが「ノーチラス」より以前に発表された楽曲で分かっていたことになります。 そして今回の衝撃的なMVで物語は核心に迫っていくのです。 では、さっそく楽曲考察に移っていきましょう。 楽曲名「ノーチラス」の意味 本来 「ノーチラス」とは ラテン語でオウムガイ。 という意味になっているのですが、これだけだと解釈できませんね。 実はオウムガイという言葉からは オウムガイの生態の特徴をなぞって、 「ノーチラスな人々」 という言葉が生まれています。 これは ノーチラス(オウム貝)のように、気分が浮いたり沈んだり 大変な思いをしている人びと。 という意味だそうです。 またも、ハッとさせられちゃいますよね。 MV中、社会に絶望して海に沈み込んでいったエイミーの姿 ここは下記にて詳しく解説します と重なるのです。 オウムガイであるノーチラス• 潜水艦であるノーチラス号 どちらをとっても本楽曲「ノーチラス」のストーリーと関連性が深そうですよね。 題はジュールヴェルヌの海底二万マイルに出る潜水艦、ノーチラス号からの引用。 眠りからの目覚めと深海から浮上するそれのメタファー。 — ナブナn-buna nabuna2 実はこれに関しては、作曲を手掛けた本人であるナブナさんがノーチラス号から引用していると述べています。 では、上記を踏まえたうえで、 本題の歌詞考察に移っていきます。 それではお待たせ致しました。 本題の歌詞考察に移っていきましょう。 1番 時計が鳴ったからやっと眼を覚ました 昨日の風邪がちょっと嘘みたいだ 出かけようにも、あぁ、予報が雨模様だ どうせ出ないのは夜が明けないから 作詞作曲:n-buna 冒頭は、主人公を取り巻く 「気だるい空気感」が伝わる情景表現で構成されている。 「朝」という言葉は一切綴られていないのに、主人公エイミーは紛れもなく 憂鬱な朝の中にいることが分かる。 「時計」や「昨日の風邪」という具体的情景表現が素晴らしいですね。 また、 予報の雨模様というのは、実際の天気と主人公エイミーの心情を文字通り比喩しているのだが、 夜が明けないという文は少し違う。 実際に夜が明けないことはない。 しかしこういった表現をすることで 「どんなに時間が経っても晴れない心」を表しているのです。 小説のように綴られていくテクニカルな冒頭から、エイミーの悲しみや億劫がビシバシと伝わってきますね。 喉が渇くとか、心が痛いとか、 人間の全部が邪魔してるんだよ 作詞作曲:n-buna 上で 「やっと眼を覚ました」という表現があるように、主人公は暗闇の中にいる眠り状態から早く解放されたかったことが分かります。 しかし、せっかく目を覚ましたとしても目の前にあるのは、 変えようのない現実だけです。 そのせいで「喉が渇く」「心が痛い」など主人公は苦しむ羽目になってしまうのです。 喉が渇く という表現からは• 憂鬱の中でも生を渇望している皮肉な本能• 水分をたくさん排出したこと 泣いたこと が分かります。 言うならば「痛み」も身体を守るための防衛本能です。 MVの結末を分かっているいま「喉が渇く」「心が痛い」に対する「邪魔してるんだよ」は、 身動きがとれないという意味に加えて、 消えてなくなろうとすることを邪魔してるんだよという意味も包括しているような気もします。 つまり、この時点でエイミーの中の 生死の葛藤は繰り広げられているということです。 サビ1 さよならの速さで顔を上げて、 いつかやっと夜が明けたら もう眼を覚まして 見て 寝ぼけまなこの君を 何度だって描いているから 作詞作曲:n-buna 「さよなら」という言葉から展開されるサビになりますが、このお別れを意味する「さよなら」こそが、冒頭から一貫して漂っている憂鬱の正体です。 ファンの方は既にご理解かと思われますが エイミーの憂鬱の正体はエルマの喪失 であり、「さよなら」の相手は言うまでもなく「エルマ」になります。 このサビからは どんなに離れていてもずっと見守っている という純粋な愛情が伝わってきますが、MVと照らし合わせることで、さらに心を揺さぶられます。 ここはラストサビにて。 スポンサーリンク 2番 傘を出してやっと 外に出てみようと決めたはいいけど、 靴を捨てたんだっけ 裸足のままなんて度胸もある訳がないや どうでもいいかな 何がしたいんだろう 作詞作曲:n-buna MVのストーリーはここから始まる。 心の雨に負けて、引きこもっていたエイミーでしたが、ここでとうとう心を晴らそうとします。 しかし、外に出ようとするにも肝心な靴がありません。 ここの部分が何を意味しているのかというと、 それは、 エイミーな虚弱な心です。 これを結びつけるためには 靴=防具 守ってくれるもの という捉え方をする必要があります。 靴がないということは、自分を守ってくれる鎧がないことと同義なのです。 エルマがいなくなったことで、荒んでしまったエイミーの心は鎧を持たない裸同然の状態。 決して、刺激の多い外に出れる状態ではありません。 ズタボロになってしまっている心情が読み取れますね。 しかし、それでも外に出ようとするのは、 「エルマのいない世界でも前を向こう」と精一杯の葛藤をしているからです。 健気な心に胸が痛い。 夕飯はどうしよう 晴れたら外に出よう 人間なんてさ見たくもないけど 作詞作曲:n-buna 「晴れたら外に出よう」 の外に出た情景がMVでは描かれています。 ここもファンであるなら胸を打たれるポイント。 路上で弾き語りをしているのです。 まるで共に音楽をしていたエルマを想起しようと言わんばかりに。 がらんどうの心が夕陽の街を歩いてく とあるような、別楽曲「夜紛い」の歌詞こそが2番のBメロの情景にあたるのでしょう。 そして、弾き語りという魂の叫びを続けるエイミーですが、切なさ、苦しさの中で叫んだ声は誰にも届きません。 それどころか蔑むような見られるばかり。 人間なんてさ見たくもないけど という 人間否定の歌詞とMVの心情が重なります。 ヨルシカの別楽曲 「踊ろうぜ」にて 嗚呼、人間なんて辞めたいな そうだろ、面白くも何にもないだろ 嗚呼、自慢のギターを見せびらかした あの日の自分を潰してやりたいよ という歌詞がありますが、ここの部分はまさにMVの男性に蔑まれた際のエイミーの心情が描かれているのでしょう。 サビ2 このままの速さで今日を泳いで、 君にやっと手が触れたら もう目を覚まして 見て 寝ぼけまなこの君を 忘れたって覚えているから 作詞作曲:n-buna 「このままの速さ」というのは 憂鬱の中でぼんやりゆっくりと今日を生きていくエイミー自身を映しています。 つまり この辛すぎる日々の中でも、じっくりと耐えていると、その先には君に会えるかもしれない。 という希望が描かれているのです。 たとえその希望が幻想だったとしても、エルマに触れる瞬間を何時でも祈っているのです。 ここは本当に切なすぎる。 ラストサビ このままの速さで今日を泳いで、 君にやって手が触れたら もう眼を覚まして 見て、君を忘れた僕を 作詞作曲:n-buna ここでストーリーは急展開を迎える。 なんとエイミーが花緑青色の塗料を呑んで、海に飛び込むのです。 MVであるように 花緑青=毒性の人口塗料 つまり、自ら命を絶ったわけです。 別楽曲 「五月は花緑青の窓辺から」で さようなら 青々と息を呑んだ 例う涙は花緑青だ とありましたが、まさにここの伏線が隠されていたとは、、、 エルマのいない日々に耐えられなかったのですね。 この結末は辛すぎる。 またMVでは、上空から下を眺めるもう一人のエイミーが描写されています。 この乗っている乗り物こそが「ノーチラス号」。 この二人の主人公が何を意味すのかは難解な部分ではありましたが私個人の意見としては エルマに手紙を残せ。 という暗示だったのではないかと考えております。 命を絶とうと葛藤をしていた下界のエイミーは、ノーチラス号に乗っている 架空の自分を見て、「ノーチラス」という手紙のタイトルを書き、手紙を残すという行動を取るのです。 おさらいですが、ノーチラス号とは、 架空の潜水艦を言う。 つまりノーチラス号の自分は架空の幻。 さよならの速さで顔を上げて いつかやっと夜が明けたら もう目を覚まして 見て、寝ぼけまなこの君を 何度だって描いているから 作詞作曲:n-buna 時が経ち、エルマはエイミーの行動を知る。 現実を知り、泣き崩れるエルマですが、ここで描かれる歌詞のテクニックが凄い。 内容はサビ1とほとんど同じであるはずなのに、エイミーの憂鬱を謳った内容とは違った意味で聴こえてくるのです。 「顔を上げて」も 「目を覚まして」も全ては、エルマに対する励ましの言葉のように感じる。 顔を上げたときの、この美しい夕日こそがエイミーだとすると、彼はいつ来るのかも分からないエルマをずっと待ち続けていたということになります。 またエルマに出会えたことで 「夜が明けた」という希望も掛けられているのでしょう。 いつ来るかも分からないエルマを待ち焦がれている姿は、海底体験の旅を永遠と続けている「ノーチラス号」と重なる。 「エルマと再会したい」 そんなエイミーの切実の願いは、最後の最後で叶ったのです。 感想 こんなにも心を揺さぶられたのはいつ以来でしょうか。 エイミー作詞• エルマ作曲 の「ノーチラス」。 もしかすると、この歌は夕陽を眺めたあと、エルマが作曲して あの場で歌ったのかも知れません。 そう考えると更にグッときますよね。 鳥肌モノのストーリーをありがとうございました。

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【ヨルシカ】待望の新アルバム「盗作」がついに発売決定|「夜行、花に亡霊」も収録

ヨルシカ 思想犯 考察

概要 [ ] プロデューサーとしても活動しているが、ワンマンライブにゲストボーカルとして参加したsuisと共にに結成。 インタビュー等ではロックバンドと称されるが、ボーカロイドとは違った人間的な表現を形にするためにできたグループで 、n-buna自身は「ヨルシカはバンドとは正確には少しイメージが違う」とした上で、ヨルシカ自体も一つの作品であると語っている。 なお、「先入観で音楽を聴いてほしくない」とのコンセプトから、6月現在2人の顔や詳細なプロフィールは公開されていない。 ヨルシカというバンド名は、1stミニアルバム『』の収録曲「雲と幽霊」の歌詞の一節「 夜しかもう眠れずに」から取られた。 また、目のようなデザインのロゴマークは月と月が向かい合っているモチーフで、時計の針にもなっており、「6時から夜」という意味が込められている。 に発売されたアルバム『』は週間ランキング5位を獲得。 、1stフルアルバム『』を発売。 また、には、その続編となる2ndフルアルバム『』を発売した。 同アルバムは2019年8月29日付けのオリコンデイリーアルバムチャート、itunesアルバムチャート、LINE MUSICチャートにて1位を獲得している。 この2つのアルバムには相反するタイトルの楽曲がある。 2019年にオフィシャルファンクラブ『ヨルシカ smartphone site 「後書き」』がオープン。 「第34回」ベスト5ニューアーティスト【邦楽】を受賞した。 2020年公開の長編「」には、主題歌として「」、挿入歌として「」を提供する。 メンバー [ ]• (ナブナ) 全楽曲の、及びを担当する。 ヨルシカのギタリストでもあり、楽曲のリードギターやギターソロは基本的に本人がレコーディングしている。 suis (スイ) - 全楽曲のボーカルを務める。 サポートメンバー [ ] レコーディング及びライブでの参加メンバー。 下鶴光康(しもづる みつやす) - のギター・コーラス担当。 - シンガーソングライター。 「こんにちは谷田さん」名義でボカロPとしても活動していた。 (マサック) - Utopia Leagueのドラムス・コーラス担当。 Utopia League以前はに所属していた。 (はっちゃん) - 1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」からの参加。 ディスコグラフィー [ ] 配信シングル [ ] 発売日 タイトル 規格 1st 2nd 3rd 4th ミニアルバム [ ] 枚 発売日 タイトル 収録曲 規格 規格品番 最高位 1st• 音楽泥棒の自白• 春ひさぎ• 爆弾魔• 青年期、空き巣• レプリカント• 花人局• 朱夏期、音楽泥棒• 思想犯• 幼年期、思い出の中• 花に亡霊 CD UPCH-7562(初回生産限定盤) UPCH-2209 通常盤 PDZJ-1060 数量限定盤 未定 参加作品 [ ] アーティスト 発売日 タイトル 収録先 規格 備考 発売ののアルバム「彩脳」に収録されている。 の楽曲のカバー。 に発売されたの「」の1曲目に収録されている。 オリジナルイメージソング 時をめくる指 から CMにて使われている楽曲。 CMなどでの歌唱参加 [ ]• Lineup ソング第1弾「. suis from ヨルシカ」作詞・作曲 ・ 2019年7月• 「 オリジナルイメージソング 時をめくる指」 作詞・作曲: 2020年4月10日配信 ミュージック・ビデオ [ ] 監督 曲名 大鳥 「言って。 2020年5月16日閲覧。 2019年7月11日閲覧。 2019年7月11日閲覧。 2020年5月16日閲覧。 プレスリリース , 株式会社Fanplus, 2019年10月21日 , 2020年5月16日閲覧。 2020年2月29日閲覧。 2020年5月16日閲覧。 2020年5月16日閲覧。 2019年10月28日閲覧。 2020年2月10日閲覧。 2020年2月10日閲覧。 2020年2月10日閲覧。 2020年3月20日閲覧。 2020年3月20日閲覧。 2020年3月10日閲覧。 2020年4月10日閲覧。 2020年6月12日閲覧。 2020年2月29日閲覧。 動画 [ ]• 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 公式ページ• - チャンネル• nabuna2 -•

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ヨルシカ「思想犯」オマージュになぞらえて歌詞を読み解く

ヨルシカ 思想犯 考察

つまり、ヨルシカの『思想犯』には元ネタがあるということです。 タイトルと歌詞のオマージュ先は同一のものではありません。 タイトルと歌詞の結びつきを考察する前に、それぞれのオマージュ先とその内容を明らかにしていきましょう。 まずタイトルの『思想犯』とは、イギリスの作家であるジョージ・オーウェルの小説『1984』からの引用です。 『1984』は1948年に執筆され翌年に出版されたディストピア小説です。 全体主義国家によって分割統治された近未来を舞台としており、監視社会の恐怖を描いた当時の世界情勢を危惧する内容となっています。 つまり、これが楽曲タイトル『思想犯』に込められた意味となるのです。 尾崎放哉と「思想犯」の歌詞 次に歌詞がオマージュされた元ネタを確認しましょう。 この楽曲の歌詞は、大正時代の俳人である尾崎放哉の俳句と彼の人生をオマージュしています。 しかし、彼が高い評価を受ける俳人になるまでには険しい道のりがありました。 彼は東京帝国大学を卒業後、エリートとして社会に出ますが、人間関係や自身の酒癖の悪さに悩み、職を転々とします。 会社に適応出来ず、妻に離婚され、病にも犯され、社会で生きていくことは不可能だと悟った時、彼の中に残ったのは俳句だけでした。 社会から逸脱した深い孤独は彼に苦しみを与えましたが、同時に世を忍ぶ無常感が俳句の才能を冴え渡らせ、俳人として飛躍的に成長するに至りました。 彼は一生を通し多くの人が持たない感情や考えを覚え、人とは違った生き方を選んだ。 では、実際に『思想犯』の歌詞を見ていきましょう。 「詩を書いていた」からわかるように、彼の人生をオマージュし、現代版にアップデートしたものでしょう。 ただし「人を呪うのが心地良い」とありますが、彼が実際にこのような物騒なことを考えていたわけではなく、刺激的な人物像を作り上げた結果の歌詞だと思われます。 「包丁を研いでる」という歌詞は彼の俳句からの引用ですが、その意味は大きく異なります。 この歌詞の文脈から考えると「包丁を研いでる」とは、ニュースで報道されるような暗い事件の準備を示唆しているように見えます。 対して、彼の俳句には危うい意味はありません。 『層雲雑吟』と題された未発表句稿集の6番目に当たる句稿の「木槿(ムクゲ)の葉のかげで包丁といでいる」からの引用です。 彼がどんな気持ちをこの句に込めたのかは不明ですが、この一節は日常の風景として描かれているので、歌詞中のような意味ではないでしょう。 このことから『思想犯』の歌詞は、彼の俳句を引用はしているものの、句の意味はあまり捉えずに字面だけを借りているようです。 美しい無常感が与える独自性 『思想犯』の歌詞は、尾崎放哉の生涯を独自の視点で解釈したものであり、実際の彼とはズレがあると書きました。 このように、普通に生活をしていた場合には得られない感受性は、彼の俳句が持つ視点と近しいものを感じます。 「烏の歌に茜、この孤独も今音に変わる」 完全な孤独を経験したからこそ、聞こえる音がある。 そう言っているように思える歌詞です。 これに続く詞も、孤独を経験し得た感受性を発揮したような表現ですね。 このように『思想犯』の歌詞には美しい独自性を感じます。 この二つを結びつけたオマージュは秀逸であり、両者が持つ特性を見事に昇華させていると言えるでしょう。

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