小山 明子。 岩下志麻×小山明子「お互いに尊敬し合う夫婦のかたち…女優と映画監督の結婚生活から介護まで」(婦人公論.jp)

小山明子とは

小山 明子

楽天で購入 息子さんは、 長男は1963年生まれの 東京工芸大学 准教授の大島武さん。 次男は1969年生まれの フリーディレク ターの大島新さん。 お孫さんも27歳の社会人から7歳の 小学生まで 5人もいらっしゃいまし た。 小山明子さんはお兄さんが4人もいる ので、その奥さんや子供たちを含める と、法事などで集まるときはにぎやか になりますね。 スポンサードリンク 小山明子の病気、乳がん、心臓、腰、脊柱管狭窄症!? 最近、有名人や女優さんが乳がんを 公表される方が多いですよね。 私の友人でも3人も乳がん経験者が いまして、幸いにもみんな再発せず 元気に暮らしています。 乳がんは他人事ではないですね。 私も定期的に健診に行っています。 小山明子さんも、 2017年9月に乳がん のになり両乳房の全摘手術を受けています。 そして、 2018年にも心臓の手術を 受けています。 小山明子さんは 現在85歳。 ご高齢の体で手術に踏み切るのは 相当な覚悟だったと思います。 更に2019年9月の週刊女性PRIME の記事によると、同年夏に小山明子 さんは 腰痛の悪化で手術を受けていた んだとか。 毎年、何らかの手術を受けていたこと になります。 病名は「脊柱管狭窄症 」 読めない・・・。 「せきちゅうかんきょうさくしょう」 と読みます。 簡単に言うと、腰の骨と骨の間のクッ ションの役割をしている椎間板 がすり 減ってしまう病気で、 それによって足がしびれたり、歩くの が困難になるそうです。 原因は運動不足や姿勢の悪さと言われて いますが、小山明子さんの場合は 大島渚 監督の介護の影響もあったのではないか と言われています。 小山明子さんは2013年に夫の大島渚監督 (享年80歳)を看取りましたが、17年に も及ぶ献身的な介護生活の中で、 途中 うつ病になり4回も入院。 3年間も苦しんだそうです。 それがどれだけ大変だったか・・・。 小山明子さんの明るい人柄からは全く 想像できませんが、経験した人にしか 分からない大変なご苦労があったので しょうね。 にしても 〇〇活動って沢山ありますよね。 「就活」「婚活」「妊活」・・・ 「終活」はその中でも、わりと新しい 分野に入るんじゃないでしょうか? 「終活カウンセラー」という職業も 存在しているほど、いま 「終活」=「自身の死に向き合う活動」 が認知されつつあります。 余談ですが、「終活ツアー」という のがあるそうで、そこでは実際に棺に 入る体験もできるそうですよ。 いまや「生前の死」の話はタブーでは なくなりつつあるんですね。 法事などで親戚が集まった時などに 指輪やアクセサリー、ネックレスなどを あげてしまうそうです。 生きている今、貰った方が嬉しいでしょ? と、小山さんはおっしゃいます。 その代り、お金は残さないそうですよ。 人間いつどうなるか分からないという ことで、 2017年にヨーロッパのセルビア までフルートの演奏会に行った そうです。 82歳で東欧の国に長時間フライトする のは、大冒険ですよね。 大島監督は在宅介護でしたが、 小山さんは「 介護施設に入れてね」と 話しているそうです。 ただし、 ・入れっぱなしにしない ・好きな花を持ってきて ・好きな音楽はかけて など、注文はつけているとか。 もし何も分からなくなって 「あなただあれ?」となっても、 『ママ大好きだよ』と手を握って ちょうだい。 「 私の心はちゃんと生きているから」 心はちゃんと生きている・・・ いざ今後私が介護に直面し、辛いことが あったら、この言葉を思い出そうと 思います。 これらのことは、遺書などの書面には 残さずに、みんなで集まった時に 冗談めかして話しているんだと おっしゃっていました。 小山さん曰く、人は2度死ぬんだとか。 「1度目は肉体の死。 2度目は誰にも 思い出されなくなったとき」 近年は、お孫さんと旅行に出かけたり 一緒に誕生日を祝ったりなどして、 どういうおばあちゃんだったかという 思い出をつくりたい、記憶を残して もらいたい。 と願っているそうです。 スポンサードリンク 小山明子の「かきくけこ」精神って? 2017年9月に乳がんの手術、その前には 左腕を骨折するなど、大変な1年だった 小山明子さんですが、落ち込むことは なかったそうです。 常に前向きでいられたある秘訣を 「徹子の部屋」で披露してくれましたね。 それは 「かきくけこ」精神。 気になったので、ちょっと調べて みました。 か=感謝の心 き=興味を持つ く=工夫する け=健康でいる こ=好奇心をもつ これを 活き活き生きる「かきくけこ」精神 というそうですよ。 小山さんが 「かきくけこ」にたどり着いた きっかけは 大島監督の介護中に偶然出会った、 上智大学名誉教授であり神父である アルフォンス・デーケン氏の 「よく生き、よく笑い、よき死と 出会う」という本。

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大島渚さん妻・小山明子さんの「介護うつ」の原因と克服のきっかけは?

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ナミキ• あこがれ (1955年) - 清水雪子• 振袖剣法 (1955年) - おきん• 新婚白書 (1955年) - 山口春子• 太陽は日々新たなり (1955年) - 外山純子• 花ふたたび (1956年) - 娘・まゆみ• 駄々っ子社長 (1956年) - 香月阿矢子• 君は花の如く (1956年) - 堀川和歌子• 青空剣法 弁天夜叉 (1956年) - おせん• 角帽三羽烏 (1956年) - 治夫の娘・木の実• 鶴八鶴次郎 (1956年) - お新• 「少年宮本武蔵」より 晴姿稚児の剣法 (1956年) - お孝• マリヤ観音 前・後篇 (1956年) - 妹・しのぶ• 阪妻追善記念映画 京洛五人男 (1956年) - 志乃• ここは静かなり (1956年) - 武田昭子 〈歯科医の義妹〉• 晴れた日に (1956年) - 雪路 〈佐竹雪子〉• 君は花の如く (1956年) - 堀川和歌子• 逃げだした縁談 (1957年) - 小島とみ江• 勢揃い桃色御殿 (1957年) - 千世• 白磁の人 (1957年) - 元羽つね美• 娘三羽烏 (1957年) - 保坂恵美• 花くれないに (1957年) - 若杉朝子• 悪魔の顔 (1957年) - 由利• 青い花の流れ (1957年) - 妹・真子• 情痴の中の処女 天使の時間 (1957年) - 娘・久美子• 女だけの街 (1957年) - スーツの娘• 花は嘆かず (1957年) - 夏川忍• 家庭教師と女生徒 (1957年) - 石原順子• 渡る世間は鬼ばかり ボロ家の春秋 (1958年)• 黒い花粉 (1958年)• その手にのるな (1958年)• 花嫁の抵抗 (1958年)• 花のうず潮 (1958年)• 女性についての一〇三章より 新妻と女秘書 (1958年)• どろんこ天国 (1958年)• 紅蝙蝠 (1958年)• 大願成就 (1959年)• 三羽烏三代記 (1959年)• 続々禁男の砂 赤いパンツ (1959年)• 「花粉」より 空かける花嫁(1959年)• ここに男あり (1959年)• 夫婦合唱 (1959年)• 「グッドナイト」より真夜中の処女 (1959年)• 愛を誓いし君なれば (1959年)• 幸福な家族 (1959年)• 禁男の砂 真夏の情事 (1960年)• 朱の花粉 (1960年)• 白い波涛 (1960年)• 痛快なる花婿 (1960年)• 断崖に立つ女 (1960年)• 死者との結婚 (1960年)• 彼女だけが知っている (1960年)• (1960年) フリー• (1961年、大宝)• 三代の盃 (1962年、)• 小さな冒険旅行 (1963年、)• 関東流れ者 (1965年、)• 続・兵隊やくざ (1965年、大映)• 若親分喧嘩状(1966年、大映)• 白昼の通り魔 (1966年、松竹)• 一万三千人の容疑者(1966年、東映)• (1967年、東映) - はる子• (1967年、東映) - いく• (1967年、) - 田川光子• (1967年、) - 明美• (1967年、松竹) - 谷川高子• (1968年、ATG) - 女• (1968年、大映) - 一の瀬秋子• (1969年、東映) - 五木正苗• (1969年、日活) - 西沢久代• (1969年、ATG) - 母• 人斬り唐獅子 (1969年、東映) - 皆川雅代• おんな極悪帖 (1970年、大映) - 梅野• 喜劇 おめでたい奴 (1971年、) - 仲居風の女• 儀式 (1971年、ATG) - 桜田節子• (1972年、東映) - 喬子• (1972年、東映) - 佳代• (1972年、ATG) - 大村ツル• (1976年、東映) - 岡部京子• (1976年、) - 「満左喜」の芸者• (1976年、東映) - 野本せつ• (1977年、東映) - 剣持佐和• (1977年、) - 河野径子• (1978年、東宝東和) - 西の家のお内儀• (1983年、東映) - 志藤千草• (1983年、東宝) - 早坂千枝• (1987年、) - 菜木の母• (2013年 オブスキュラ・東北新社)-アキコ役 テレビドラマ [編集 ]• 「霧の中の少女」(1960年12月9日)• 「女は同じ物語」(1961年1月6日)• 「女であること1 妙子の章」(1961年3月3日)• 「女であること2 音子の章」(1961年3月10日)• 「女であること3 さかえの章」(1961年3月17日)• 「女であること4 市子の章」(1961年3月24日)• グリーン劇場 第13回「怒りの果実」(1960年12月24日、TBS)• 愛の劇場「とかく女というものは」(1960年12月26日、)• NECサンデー劇場「今年も楽しく」(1961年1月1日、)• 月曜劇場「雪国」(1961年1月23日、NET)• 雑草の歌 第148回「すきま風」(1961年2月1日、)• 名勝負物語 第19回 - 第24回「花の講道館」(1961年3月23日、NTV)• ヤシカゴールデン劇場「わが町」(1961年4月12日、NTV)• 宮本武蔵一乗寺の決闘(1961年4月16日、)• 源氏鶏太シリーズ「喧嘩太郎」(1961年4月16日、TBS)• 検事(1961年、CX)• 山本周五郎アワー「修業綺譚」(1961年7月12日、TBS)• 文芸劇場 第1回「湖の娘」(1961年10月6日、)• (TBS)• 「家族会議(前編・後編)」(1961年12月15日・22日)• 「金色夜叉(後編) 赤樫満枝の巻」(1962年1月19日)• 「いつか極光の輝く街に」(1963年8月23日)• (TBS)• 第267回「はちのすの女たち」(1962年1月14日)• 第358回「燃ゆる限り」(1963年10月13日、)• 第513回「秋霜」(1966年10月2日、)• 第561回「女家族」(1967年9月10日)• 第564回「辻が花」(1967年10月1日、)• 日立ファミリーステージ「」(1962年2月20日・27日、TBS)• 丘は花ざかり(1962年、NTV)• 遥かな歌、遥かな里(1962年5月27日、NHK)• 月と手袋 (1962年7月25日、NHK)• 柔道一代 (1962年、TBS)• おかあさん2(TBS)• 第191回「私はかもめ」(1963年6月27日)• 第225回「悲しげに」(1964年2月20日)• 第282回「鍵はいくつに」(1965年4月8日)• 第308回「縞のある葉」(1965年10月7日)• 第338回「つばめ飛ぶ日に」(1966年5月5日)• 日本映画名作ドラマ「人情紙風船」(1963年7月14日、NET)• 第95話「帰ってきた娘」(1963年7月25日、TBS)• 悪銭 (1963年、)• 文芸劇場 第83回「夜の配役」(1963年8月23日、NHK)• (CX)• 第1シリーズ 第21話「春雷有情」(1964年)• 第4シリーズ 第19話「木枯の女」(1967年) - 八枝• 娘の結婚 第18話「舞いおりた花嫁」(1964年2月12日、NTV)• 女医(1964年、)• 父子鷹(1964年、TBS)• 雲をつかむ男(1964年、)• 女医記(1964年10月29日、NHK)• 第26話(1964年、TBS)• アジアの曙(1964年、TBS)• 白い魔魚(1965年、CX)• うなぎ繁盛記(1965年、NHK)• 弁慶(1965年 - 1966年、NTV)• 丹下左膳1(1965年 - 1966年、TBS)• (1965年、)• (TBS)• 第1話「ラッパの善さん」(1966年)• 第35話「翼あれば」(1967年2月26日)• 「先生初恋の人に逢う」(1967年5月27日)• 「ああ軍歌」(1967年12月10日)• 日曜日(1966年、NHK)• グランプリ劇場「宴(うたげ)」(1966年 - 1967年、NTV)• うしろ姿(1966年12月15日、NHK)• 女であること(1967年、MBS)• 夏の夜の十時シリーズ「死者との結婚」(1967年6月12日、NET)• 「淵の底」(1968年、NET)• 道頓堀(1968年、YTV)• 第8話「愛妾お伝の方」〜第10話「鼓の音哀し」(1968年、KTV) -• 第3話「バラ色の死」(1968年、NTV)• 第12話「あの竹薮をぬけて」(1968年、NET)• 第260話「二人の妻を持つ夫」(1970年、TBS) - 五木夫人• (1970年、NHK) - 稲見律子• (1970年、KTV) - 小田島優子• (1971年、TBS) - 辻口夏枝• (1971年、NET)• 第6話「僕の弟はロボットだ!」(1971年、)• (1971年、NHK)• (1972年、NHK) -• (1972年、NET) - おくに• 第2シリーズ 第9話「錦絵は十五夜に泣いた」(1972年、CX) - 山城屋お紺• (1972年、TBS)• (1973年、KTV)• (1973年 - 1974年) - 辻綾• 第4話「あんたこの親子をどう思う」(1976年) - お遊• 第2話「突如奥方と芸者の人格が入れ替わった」(1978年)- 琴路• (1974年、CBC)• (1974年、TBS) - 結城妙子• 第41話「殺しの投げ文」(1974年、NTV)- お沙江 役• (1974年、MBS)• 第15話「夫婦筋違橋」(1975年、NHK)• 第17話「綾姫御殿」(1975年、ABC) - くに• (NET)• 第2シリーズ 第24話「兇悪の献身」(1975年) - 水科あやか• 第2シリーズ 第54話「兇悪の砂丘」(1975年) - 牧原和子• 続・あかんたれ(1978年、THK)• (1978年 - 1979年、TBS)• 第87話「母・殺意のカンバス! 」(1978年、)• (1979年、THK)• 第三部「哀惜 母ひとり」(1980年、CX) - 滝川• (1982年、MBS)• (1983年、TBS) - 辰巳タカ• 第1話「大奥誕生」(1983年、KTV) -• (1983年、TBS)• (1984年、ANB)• (1985年、ANB)• 第1379話「消えた身代金」(1985年、ABC)• (1985年4月〜1986年3月、NHK、) -• (1989年、YTV)• (1992年、YTV)• (1994年、) -• (2007年、NHK) 著作 [編集 ] 単著 [編集 ]• 1988年11月『気だて気くばり気ばたらき』リヨン社、ISBN 4576881272• 2000年12月『いのち、輝く! もう一度メガホンを 大島渚を支えた介護の日々』経済界、ISBN 4766782151• 2005年9月『パパはマイナス50点 介護うつを越えて夫、大島渚を支えた10年』集英社、ISBN 4087813347• 2010年10月『小山明子のしあわせ日和』清流出版、ISBN 9784860293369 共著 [編集 ]• 1987年2月 『仲よきことは、メイワクか 私たちの人生作法』(大島渚と共著)、文化出版局、ISBN 4579302788• 1991年5月 『男と女のちょっと気になる話』(大島渚と共著)、三笠書房、ISBN 4837904505 関連項目 [編集 ]• 脚注 [編集 ].

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小坂明子の今現在や病気の容態は?旦那や子供はいる?代表曲も! | 離島からのリーマン便り

小山 明子

晴天続きだった6月上旬。 「夕方になったら、みんなで農園に行って水まきしよう」 その一声で、8歳、6歳、4歳の男の子たちは母親と共に繰り出した。 涼しい夕暮れの農園へ。 できたばかりのみそ汁と、握りたてのおにぎりを持って。 「子どもの頃から、やりたいことしかやらないのが私。 アルトサックスを吹いていたときも、教科書に載っているような曲じゃなく今はやりの曲がやりたくて、みんなの分までアレンジして演奏したり。 異端児でしたよ、何か勘違いしていて」 大学中退後は都内でCM音楽などのディレクションやプロデュースに携わり、音楽業界にどっぷりと身を置いた。 「3日徹夜は当たり前で、コンビニ弁当をおいしいともおいしくないとも感じない生活。 秋田に帰ってからもそれは続いて、結婚してもピザやサンドイッチ、お取り寄せグルメで食卓を演出する私ってすてき!なんて。 子どもを3人産んでからも意識はまるで変わらなくて。 ほんと、勘違い人生でした」 忘れもしない、2011年3月。 東日本大震災後のテレビに生々しい避難所生活が映し出された。 そして、わが子の手を離して死なせてしまった若い父親の「それでも生きていく」という言葉。 すべてが重く、心に響いた。 「もし私が幼い3人の子どもと一緒にあの避難所にいたら、うちの子たちは生きていけるだろうか。 私の育て方は、どんな状況下でも生き延びる力を与えてきただろうか。 私は何を目指して子育てをしてきたのか…」 子育てへの疑問と反省が食への意識を変えた。 地場においしい野菜があること、ご飯があること。 今ここにあるものの素晴らしさ…。 「ご飯とみそ汁は、体と心をつくる原点。 でもそれだけではなく、そこには人の幸福感を変えるエネルギーがある。 食への意識が高い人は多いと思いますが、幸福感に変えられるかどうかは別問題。 食べる楽しさやコミュニケーションのある食卓が大切なんです。 ご飯とみそ汁さえあれば…という人が増えれば、人はもっともっと幸せに生きられるはず」 秋田市河辺の農園。 水やりに精を出す長男、手伝いながらも遊びに没頭する二男、ただただ楽しく遊びまくる三男。 この子たちの存在が、どう生きていくべきかを教えてくれた。 「年々、シンプルになってきて。 何だか幸せなんですよ」 山あいに沈む夕日が、田んぼの水や野菜の葉と共に、4人を赤く照らし出した。

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