イソップ カール。 第五人格の質問ですイソップ・カールのストーリーを教えてく...

第五人格の質問ですイソップ・カールのストーリーを教えてく...

イソップ カール

考察は人それぞれで、公式から確実なストーリーは出ていません。 それゆえあくまで【私個人の解釈】になってしまいますので、ご了承ください。 イソップの母が亡くなるとき、ジェイ・カールという人の弟子になります。 ジェイ・カールは納棺師という職業についており、イソップは彼の元で学びます。 それと同時にイソップは学校の入校を拒否されます。 その時の手紙に「彼は自閉症か他の問題があるかも」と書かれていますが、その時からイソップにはサイコパスのような傾向があったのでは?と思います。 後にジェイ・カールの元で学ぶことにより、その傾向にあったサイコパス具合いが加速したのかなとも捉えられますね。 話を戻しますが、勿論弟子であるイソップも納棺師としての仕事は行ってたのだと思います。 そしてある日師匠であるジェイ・カールは荘園へ向かいます。 荘園とは勿論現在イソップ達がいる荘園のことです。 ここで人によって変わると思うのですが、どうやらジェイ・カールは荘園から生きて脱出出来たのだと思います。 しかしイソップ。 ジェイを生きて帰ってきた という判断ができず、ジェイは死亡しこの世を彷徨う物だと思ってしまいます。 結果、ジェイを納棺することが自分にとって最後の使命だと感じたイソップは、ジェイに臭化水素を投与します。 臭化水素は要は毒です。 そして師匠を殺したイソップは、荘園にもジェイと同じように彷徨う物がいると思い、荘園へ向かう ということだと私は解釈しています。 要はイソップが来たのは手紙を渡すということの他、荘園にいる人 庭師とか医師とか を納棺し、あの世へ導いてあげるため と私は思いました。 しかしこれだといくつか疑問点が残ってしまうことになるので、多分所々間違っているような気はします。 そもそもジェイ・カールとイソップ・カールの関係性がもしかしたら親子の可能性だって有り得ますし。 なので、こんな考えもあるんだーみたいな感じで気楽に受け取って貰えればと思います。

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第五人格の質問ですイソップ・カールのストーリーを教えてく...

イソップ カール

いずれも、天使を象った作品です。 パウル・クレー(1879〜1940)はスイス生まれの芸術家ですが、これらの作品にはどのようなメッセージが込められているのでしょうか? 最初に、パウル・クレーは私が最も好きな芸術家の一人だからです。 二つ目に、彼は晩年、とてもたくさんの天使の作品を制作しました。 それは「死の天使」でした。 私も年を取り、いつもではないのですが、最近は死について時々、考えるようになりました。 パウル・クレーの作品とは似ていませんが、彼が伝えたいメッセージを私も受け継ぎました。 この作品について、最初の質問してくれてありがとう。 世田谷美術館で展示されているエリック・カールさんの最新作シリーズ ——今回の展覧会では、パウル・クレーの作品と彼との関連性が伺えるエリックさんの作品『』の原画も展示されていますね。 他にも、特に印象に残っているのは、やはり絵本作家として著名な(1910〜1999)の作品が紹介されています。 オランダ生まれのレオ・レオニはイタリアから亡命、エリックさんがアメリカに再び移住した1952年当時は、「フォーチューン」誌などで活躍するアートディレクターでした。 駆け出しのエリックさんに仕事を紹介してくれたエピソードは有名ですね。 レオ・レオニは、エリックさんの良き先輩であり、仕事仲間だったと聞いています。 そうですね。 こんな話があります。 レオ・レオニには孫娘がいたのですが、彼女はある日、私の絵本『はらぺこあおむし』を見て、「見て!誰かがおじいちゃんの本の真似をしたわ!」と言ったそうです。 レオ・レオニには『』という、しゃくとり虫が主人公の絵本を描いていたのです。 イソップ童話の11話を描かれていますが、少しおなじみの物語とは違うようです。 私はイソップが大好きなのですが、物語の結末を少し変えました。 例えば、「アリとキリギリス」では普通、キリギリスがアリたちに拒否されますが、私の結末では、温かく受け入れられています。 ——キリギリスは冬になったら、アリの家のパーティーでバイオリンを弾くという素敵な物語になっていました。 だって、キリギリスは夏の間、美しい音楽を奏でていたのですよ。 作っている人たちだけおいしいと思っているワインです(笑)。 でも、本当は酸っぱいんですよ。 私は絵本の中に、いたずらをしかけるのが楽しいのです。 イソップ自身より、面白くなったと思います。 イソップが生きた時代、統治者や社会を批判することができなかったので、彼はそれを動物で表現しました。 とても真面目な人だったのでしょう。 エリックさんは6歳でドイツに移住し、幼い頃から才能の開花はあったものの、ナチス政権下では空爆を回避するために建物は地味な色に塗られ、社会も灰色だったと聞いています。 しかし、エリックさんの作品は色彩にあふれ、多様性を感じます。 アメリカとドイツという対象的な国での教育はどのような違いがありましたか? 私は始め、アメリカで教育を受けました。 それはとてもポジティブで、素晴らしい先生にも恵まれ、たくさんの色や紙を使って作品を作ることもできて、私は学校に行くのがとても大好きでした。 それこそ、口笛をふいて通っていました。 ところが、ドイツに帰ってからは、学校の先生はとても怒りっぽくて、すぐにスティックで私の両手を叩きました。 そうして、6歳にして私は教育のエキスパートになったのです。 アメリカの教育は良く、ドイツの教育は悪いという、とてもシンプルな結論にたどりつきました。 6歳から16歳まで、長い時間、私は学校を恐れ、憎んでいました。 とても長い間です。 そうした体験が、私の作品にも頻繁に影響を及ぼしました。 作品は愛で溢れ、優しく、批判的でなく、親しみやすいものになりました。 ——つらいドイツでの学校生活でしたが、素晴らしい出会いもあったそうですね。 そうです。 私の高校の美術教師は、とても勇気ある人でした。 ヒトラーは芸術を弾圧していましたが、彼は放課後、私だけを自宅に招き、秘密裏に集めていた絵を見せてくれました。 当時、退廃芸術として禁じられていた絵の複製です。 ——ピカソやマティス、カンディンスキー。 パウル・クレーもあったそうですね。 初めて、彼らの絵を見た時、どのように思われましたか? とても慌てました。 そんな絵を見せるなんて、「先生は狂ってる!」と思ったぐらいです。 でも、同時に彼が私の中にある「何か」を見つけてくれたのだということも、わかっていました。 人生の中で、自分が成長するポイントはいくつかあります。 彼との出会いはその一つでした。 それから私は16歳の時に、高校を辞めてしまい、それについては後悔していますが、今は良いアーティストになれました(笑) それから、ひとつだけ付け加えさせてもらうと、ドイツは戦後、全く違う国になりました。 生徒と先生はより自由になったし、生活はしやすくなりました。 私がいた頃は、全てが堅苦しかったです。 郵便局に行って小包を出す時にも、紐の結び方について細かい規則があって、間違えると郵便局の職員に怒られました。 だから、郵便局に行くことさえ、怖かった。 今はアメリカよりも自由です。 最近、ドイツの子どもたちと話したことがありますが、自由過ぎて、もっと従順であって欲しいと思ったぐらいです(笑) 世田谷美術館での展覧会開幕に訪れたエリック・カールさん。 異なるサイズのページが入っていたり、ページの真ん中に穴が空いていたり、複雑な製本は当時のアメリカの印刷会社では難しかったそうですね。 エリックさんの本が英語圏以外で最も多く翻訳されているのも日本です。 日本文化にも造詣が深くいらっしゃって、今回の滞在でも、東京で和紙の専門店を楽しまれたと聞いています。 私は技術を持った職人たちが大好きなのです。 たまに、私は「アーティストにならなかったとしたら、何になりたかったか?」と質問されますが、答えはコックです(笑)。 私は料理はできませんが、何かをクリエイトしたいと思います。 ——エリックさんの本を日本で出版している偕成社での歓迎会では、社員の方が書道のパフォーマンスを行い、エリックさんご自身も飛び入りで書道にチャレンジしていらっしゃいましたね。 筆と墨で、すらすらと『はらぺこあおむし』を描かれて驚きました。 初めて日本の筆を持ちました! 最初はやり方を間違えてしまったから、ひどかったでしょう? 偕成社で開かれた歓迎会で、初めて日本の筆を持ったエリック・カールさん。 現れたのは「はらぺこあおむし」 ——いえ、とても素敵なあおむしでした! その社員の方が字を書く際、エリックさんにリクエストを伺ったところ、エリックさんが「Peace(平和)」と即答されていらっしゃったのが印象的でした。 なぜ、その言葉を選ばれたのでしょうか? そうですね...。 政治的な状況でしょうか。 たとえば、トランプ大統領や北朝鮮、それから中東......。 私は、戦争が起こることをとても恐れています。 なぜなら、私自身、ドイツで戦争を経験しているからです。 戦争はとても恐ろしいものです。 私の父はドイツ軍に招集され、8年半家族の元を離れていました。 戦争が終わってからは、ロシアの収容所に3年間入っていました。 みんな心身がボロボロでした。 それ以外にも、あの戦争でたくさんの人たちが死にました。 ヨーロッパや日本でも。 5000万もの人たちが亡くなりました。 私は今の若い人たちをそんな戦争に送りたくないと思っています。

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『はらぺこあおむし』のエリック・カールさんが今、「平和」という言葉を選ぶ理由

イソップ カール

いずれも、天使を象った作品です。 パウル・クレー(1879〜1940)はスイス生まれの芸術家ですが、これらの作品にはどのようなメッセージが込められているのでしょうか? 最初に、パウル・クレーは私が最も好きな芸術家の一人だからです。 二つ目に、彼は晩年、とてもたくさんの天使の作品を制作しました。 それは「死の天使」でした。 私も年を取り、いつもではないのですが、最近は死について時々、考えるようになりました。 パウル・クレーの作品とは似ていませんが、彼が伝えたいメッセージを私も受け継ぎました。 この作品について、最初の質問してくれてありがとう。 世田谷美術館で展示されているエリック・カールさんの最新作シリーズ ——今回の展覧会では、パウル・クレーの作品と彼との関連性が伺えるエリックさんの作品『』の原画も展示されていますね。 他にも、特に印象に残っているのは、やはり絵本作家として著名な(1910〜1999)の作品が紹介されています。 オランダ生まれのレオ・レオニはイタリアから亡命、エリックさんがアメリカに再び移住した1952年当時は、「フォーチューン」誌などで活躍するアートディレクターでした。 駆け出しのエリックさんに仕事を紹介してくれたエピソードは有名ですね。 レオ・レオニは、エリックさんの良き先輩であり、仕事仲間だったと聞いています。 そうですね。 こんな話があります。 レオ・レオニには孫娘がいたのですが、彼女はある日、私の絵本『はらぺこあおむし』を見て、「見て!誰かがおじいちゃんの本の真似をしたわ!」と言ったそうです。 レオ・レオニには『』という、しゃくとり虫が主人公の絵本を描いていたのです。 イソップ童話の11話を描かれていますが、少しおなじみの物語とは違うようです。 私はイソップが大好きなのですが、物語の結末を少し変えました。 例えば、「アリとキリギリス」では普通、キリギリスがアリたちに拒否されますが、私の結末では、温かく受け入れられています。 ——キリギリスは冬になったら、アリの家のパーティーでバイオリンを弾くという素敵な物語になっていました。 だって、キリギリスは夏の間、美しい音楽を奏でていたのですよ。 作っている人たちだけおいしいと思っているワインです(笑)。 でも、本当は酸っぱいんですよ。 私は絵本の中に、いたずらをしかけるのが楽しいのです。 イソップ自身より、面白くなったと思います。 イソップが生きた時代、統治者や社会を批判することができなかったので、彼はそれを動物で表現しました。 とても真面目な人だったのでしょう。 エリックさんは6歳でドイツに移住し、幼い頃から才能の開花はあったものの、ナチス政権下では空爆を回避するために建物は地味な色に塗られ、社会も灰色だったと聞いています。 しかし、エリックさんの作品は色彩にあふれ、多様性を感じます。 アメリカとドイツという対象的な国での教育はどのような違いがありましたか? 私は始め、アメリカで教育を受けました。 それはとてもポジティブで、素晴らしい先生にも恵まれ、たくさんの色や紙を使って作品を作ることもできて、私は学校に行くのがとても大好きでした。 それこそ、口笛をふいて通っていました。 ところが、ドイツに帰ってからは、学校の先生はとても怒りっぽくて、すぐにスティックで私の両手を叩きました。 そうして、6歳にして私は教育のエキスパートになったのです。 アメリカの教育は良く、ドイツの教育は悪いという、とてもシンプルな結論にたどりつきました。 6歳から16歳まで、長い時間、私は学校を恐れ、憎んでいました。 とても長い間です。 そうした体験が、私の作品にも頻繁に影響を及ぼしました。 作品は愛で溢れ、優しく、批判的でなく、親しみやすいものになりました。 ——つらいドイツでの学校生活でしたが、素晴らしい出会いもあったそうですね。 そうです。 私の高校の美術教師は、とても勇気ある人でした。 ヒトラーは芸術を弾圧していましたが、彼は放課後、私だけを自宅に招き、秘密裏に集めていた絵を見せてくれました。 当時、退廃芸術として禁じられていた絵の複製です。 ——ピカソやマティス、カンディンスキー。 パウル・クレーもあったそうですね。 初めて、彼らの絵を見た時、どのように思われましたか? とても慌てました。 そんな絵を見せるなんて、「先生は狂ってる!」と思ったぐらいです。 でも、同時に彼が私の中にある「何か」を見つけてくれたのだということも、わかっていました。 人生の中で、自分が成長するポイントはいくつかあります。 彼との出会いはその一つでした。 それから私は16歳の時に、高校を辞めてしまい、それについては後悔していますが、今は良いアーティストになれました(笑) それから、ひとつだけ付け加えさせてもらうと、ドイツは戦後、全く違う国になりました。 生徒と先生はより自由になったし、生活はしやすくなりました。 私がいた頃は、全てが堅苦しかったです。 郵便局に行って小包を出す時にも、紐の結び方について細かい規則があって、間違えると郵便局の職員に怒られました。 だから、郵便局に行くことさえ、怖かった。 今はアメリカよりも自由です。 最近、ドイツの子どもたちと話したことがありますが、自由過ぎて、もっと従順であって欲しいと思ったぐらいです(笑) 世田谷美術館での展覧会開幕に訪れたエリック・カールさん。 異なるサイズのページが入っていたり、ページの真ん中に穴が空いていたり、複雑な製本は当時のアメリカの印刷会社では難しかったそうですね。 エリックさんの本が英語圏以外で最も多く翻訳されているのも日本です。 日本文化にも造詣が深くいらっしゃって、今回の滞在でも、東京で和紙の専門店を楽しまれたと聞いています。 私は技術を持った職人たちが大好きなのです。 たまに、私は「アーティストにならなかったとしたら、何になりたかったか?」と質問されますが、答えはコックです(笑)。 私は料理はできませんが、何かをクリエイトしたいと思います。 ——エリックさんの本を日本で出版している偕成社での歓迎会では、社員の方が書道のパフォーマンスを行い、エリックさんご自身も飛び入りで書道にチャレンジしていらっしゃいましたね。 筆と墨で、すらすらと『はらぺこあおむし』を描かれて驚きました。 初めて日本の筆を持ちました! 最初はやり方を間違えてしまったから、ひどかったでしょう? 偕成社で開かれた歓迎会で、初めて日本の筆を持ったエリック・カールさん。 現れたのは「はらぺこあおむし」 ——いえ、とても素敵なあおむしでした! その社員の方が字を書く際、エリックさんにリクエストを伺ったところ、エリックさんが「Peace(平和)」と即答されていらっしゃったのが印象的でした。 なぜ、その言葉を選ばれたのでしょうか? そうですね...。 政治的な状況でしょうか。 たとえば、トランプ大統領や北朝鮮、それから中東......。 私は、戦争が起こることをとても恐れています。 なぜなら、私自身、ドイツで戦争を経験しているからです。 戦争はとても恐ろしいものです。 私の父はドイツ軍に招集され、8年半家族の元を離れていました。 戦争が終わってからは、ロシアの収容所に3年間入っていました。 みんな心身がボロボロでした。 それ以外にも、あの戦争でたくさんの人たちが死にました。 ヨーロッパや日本でも。 5000万もの人たちが亡くなりました。 私は今の若い人たちをそんな戦争に送りたくないと思っています。

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