御嶽 山 スキー 場。 御嶽 アルパイン スキー バックカントリー : エビ日誌

御嶽山

御嶽 山 スキー 場

札幌のスキー場を紹介! 北海道の冬といえば雪! 雪といえばスキー! 北海道のスキー場といえば雪質が良く日本のみならず海外からもたくさんの人が毎年訪れます! そこで今回は札幌のスキー場を紹介します! 札幌市内にある気軽に行けるスキー場!! さっぽろばんけいスキー場 標高482mの高さの山で、全部で14コースもあるスキー場。 まずは何と言ってもアクセスの便利さじゃないでしょうか。 札幌市内から車でおよそ30分でつきますから、おもいたったその日にすぐいけちゃいます! ナイターは16時~22時でやってますから、夜だって行けますよ! ナイターは大人2000円、7時間券は大人3800円です。 ナイターがなんと全面LED化によって明るくなりましたので、夜も滑りやすくなったのがまずいいところじゃないでしょうか!? ナイターの欠点はやはり暗い所ですが、夜でも明るい環境下で滑れるのはうれしいですよね! しかもアクセスのしやすさも抜群です。 なんと無料送迎バスがでてますから、バスの交通費はカットできます! しかも毎日。 地下鉄麻布駅、宮の沢駅からでてまして、スキー場までおよそ40分ですので是非チェックしてみてください! 朝9時~夜11時までやってますので、結構長いこと遊べます。 料金は1日券大人3500円で、ナイターは15時からの6時間券だと大人2700円です。 ずっと滑ってられますから、他のスキー場と比べてそう何度も乗り物に乗らなくていいところが個人的には好きです。 そして長いだけでなくて広いです!自由度も高いです! 本格派なスキー場という感じがします。 普通に滑りたい方には「バスパック券」がオススメで、往復のバスと一日券がついて5300円です! 普通にバスを利用したらなら往復で2500円です。 中高生なら学生証の提示で3600円です! 予約不要ですから、行く人は是非こちらをご利用ください。 国際スキー場は高校生の時よく行ってて、朝早起きしていくのがメンドーでした・・・。 笑 でも行ったときは楽しくて最後のバスの時間までいつもすべってました。 やっぱり国際スキー場が一番すきだなあ。

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御嶽 山 スキー 場

から望む御嶽山の 木曽御嶽山、 御嶽、王嶽 、王御嶽 とも称する。 また嶽のをで表記し 御岳山や、単に 御岳 と表記されることもある。 としては、国内で最も西に位置する。 日本にはが多数あり、その最高峰である。 山頂には(3,063. 61 m、点名「御岳山」) と奥社がある。 古くからの対象のとしての畏敬を集めてきた巨峰で、いくつものを連ねてそびえるである。 の『』では「木曽の御嶽夏でも寒いやりたや添えて」、『』では「わしが心と御嶽山の胸の氷は 胸の氷はいつとける」と歌われており、神聖な信仰の山であるとともにを代表する山として親しまれている。 特に地方ではほとんどの場所からその大きな山容を望めることから、「木曽のおんたけさん」としてのように親しまれている山である。 、 、 、 のひとつに選定されている。 旧を代表する山として飛騨頂上、旧を代表する山としてが「信州ふるさと120山」の一つに選定されている。 (昭和2年)に、となどによりの一つに選定されている。 に指定されているや、に指定されているとは異なり、にさえも指定されていない。 長野県の および岐阜県の には指定されているものの、国立・国定公園に指定されなかったのは、木曽を主とするの盛んな地域であるという事情がある。 山腹は深い森で覆われ多くのがあり、の源流部の山であり、その下流部であるの水がめとなっている。 以前はやであると思われていた山であるが、(54年)に突如噴火した。 は(20年)3月31日に1(平常)とを発表した。 (平成26年)に噴火、南側斜面をが流れ下り、噴火警戒レベルが3 入山規制 に引き上げられた。 これに伴い、から概ね4kmの範囲が立入禁止区域に指定された。 2015年6月、火山性地震は続くものの2014年10月中旬以降噴火が観測されていないため、噴火警戒レベルが2 火口周辺規制 に引下げられた。 これに伴い、立入禁止区域は火口から概ね1kmの範囲に変更された。 2017年8月、噴煙活動や山頂直下付近の地震活動は緩やかな低下が続いており、2014年10月中旬以降噴火の発生がないため、噴火警戒レベルが1 活火山であることに留意 に引下げられた。 ただし現在も、火口から概ね1kmの範囲は立入禁止区域である。 「岐阜県北アルプス地区及び活火山地区における山岳遭難の防止に関する条例 」により、御嶽山の火口域から4km以内の地域 に立ち入る場合にの提出が義務づけられている。 長野県では「長野県登山安全条例 」により、指定登山道 を通行しようとするときはあらかじめ登山計画書を届出 なければならない。 また山頂付近には噴火に備えて、登山者向けの屋外スピーカー避難シェルターが設置されている。 山名の由来 [ ] 遠くからも望め「王御嶽」(おんみたけ)とも呼ばれていた。 古くは坐す神を王嶽蔵王とされ 、がこの山に対するとして「王の御嶽」(おうのみたけ)称して、「王嶽」(おうたけ)となった。 その後「御嶽」に変わったとされている。 の総本山のは「金の御嶽」(かねのみたけ)と尊称され、その流れをくむ、などの「みたけ」と称される山と異なり「おんたけ」と称される。 日本全国で多数の山の中で、「山は、嶽は御嶽」と呼ばれるようになった。 火山・地勢 [ ] から望む雲海に浮かぶ山頂部が広い御嶽山、右端が「日和田富士」と呼ばれる継子岳 御嶽山はで14位の山であり、火山としてはに次いで2番目に標高が高い山である。 剣ヶ峰を主峰にして、摩利支天山(2,959. 2 m)、継子岳(2,858. 9 m)、継母岳(2,867 m) などのがあり、南北約3. 5 の山頂部によるの山容である。 北端の継子岳は比較的新しい山体の成層火山で、北側山麓から見ると、他の峰が隠れて見えないためきれいな形をしており、として「日和田富士」とも呼ばれている。 なお、長野県側にとして三笠山(2,256 m)、小三笠山(2,029 m)がある。 最高点の剣ヶ峰は長野県に位置し、王滝口登山道の外輪山との合流部が「王滝頂上」(標高点2,936 m) 、小坂口との合流部が「飛騨頂上」(標高2,811 m)である。 の堆積した裾野は広く、長野県側の麓の傾斜地では濃い色の火山灰が耕地を覆っていて、高地のはの産地として知られている。 岐阜県側の地形は長野県側と比較して複雑で、平坦地が少なく、尾根筋が屈曲している。 2007年(平成19年)に、日本の地質百選選定委員会により「」の第1期選定(全国83箇所)の一つに選定された。 山容 山名 等級 基準点名 剣ヶ峰からの 方角と 所在地 継子岳 2,859. 14 三等 「継子岳」 北 2. 7 高山市 木曽町 摩利支天山 2,959. 45 三等 「御岳」 北北西 1. 4 下呂市 木曽町 (最高点) 3,067 (一等) 「御岳山」 3,063. 61m 0 木曽町 王滝村 継母岳 2,867 西 1. 4 下呂市 王滝村 三笠山 2,256. 1 三等 「三笠山」 南東 3. 2 王滝村 御嶽山の南面の木曽川水系王滝川の支流である赤川最上流部の地獄谷の火山ガスを噴出する噴気孔 2011年9月18日の噴煙の状況 火山活動 [ ] 御嶽山は東日本火山帯の西端(旧区分によるの最南部)に位置し、古生層との濃飛類を基盤(基底部は17 km四方の広さ)とし、基盤からの高さが1,400-1,900 mの、複輝石、などで構成される成層火山である。 各方向にを流れ出しているが、西に流れた摩利支天山第6溶岩流は、最も延長が長く約17kmに及ぶ。 末端には安山岩の大岩壁がある。 一ノ池を中心として、摩利支天山、継母岳、王滝頂上を結ぶの内側がであると推測され、カルデラ形成前の姿は、に匹敵する高さの成層火山であったと推測される。 大爆発によって崩壊した土砂はとなって川を流れ下った岐阜県付近のには御嶽山の土砂が堆積しており、水流によってできたがとなっている。 この大爆発によって剣ヶ峰、摩利支天山、継母岳の峰々が形成されたであり、その山容はのに似ている。 1970年代以前の認識では、最後の噴火は約2万年前で以降はと考えられていたが、(平成18年)に行われた岐阜県の調査および2008年(平成20年)に行われた多治見砂防国道事務所や(産総研)の調査によれば、約5200年前のを伴う噴火を含め、2万年間に4回(約1万年前以降、約1万年前、約9000年前、約5200年前、約5000年前)のマグマ噴火を起こしている。 『』の(平成19年)の紙面に掲載された記事によると、岐阜県の調査によって、剣が峰北西6キロの下呂市内において、約5200 - 6000年前の火砕流がしてできた地層が発見され、五ノ池火口からの噴出物と考えられる火砕流の痕跡が確認された。 最近の2万年以降の活動はと限定していた岐阜県・長野県それぞれにおいて、火砕流も想定しての、など防災に関する見直しが行われた。 1979年以降は断続的(1991年、2007年)に小規模な噴気活動が続いている。 2014年現在、気象庁により「火山防災のために監視・観測体制の充実等が必要な火山」に指定されていて 、山頂周辺には火山活動の観測のための、空振計、、火山ガス検知器、観測装置、などのが設置されている。 2001年から大学院環境学研究科が、「岐阜・長野両県における火山噴火警戒避難対策事業」として噴火の前兆現象を観測する地震計による御岳火山災害観測を行っている。 1979年の水蒸気爆発の6ヶ月前に三ノ池が白濁して池の中から泡が噴き出す音が発生した現象と、6時間前の火口直下での地震は、そのであったと見られている。 (平成23年)7月27日に「御嶽山火山噴火緊急対策計画検討会」が開催され、御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画が策定された。 王滝頂上直下西面(八丁ダルミ付近)と地獄谷の噴気孔からなどの火山ガスを噴出し続けていて 、噴気孔から発生する火山ガスの轟音が聴こえることがある。 活火山の定義を見直すきっかけとなった有史以来の水蒸気爆発 [ ] 1979年(昭和54年)の水蒸気爆発以前において、御嶽山は火山学者の多くと一般大衆から死火山と認識されていた。 実際、当該爆発を伝える新聞見出しも「 死火山大爆発」などと報道された。 このことから、この時点において御嶽山は死火山であるとの認識が一般的であった。 ところがこれは不正確な認識が一般的となっていたことを示しているにすぎない。 例えば19世紀前半の文献には実際に噴気活動の証拠を示す現象が記録されている。 また 気象庁も、(昭和43年)刊行の『火山観測指針』において御嶽山を「御岳山」として63座の活火山の一つとして掲載しており、直前の(昭和50年)刊行の『日本活火山要覧』の77活火山にも包含されていた。 1979年当時は、定常的な観測体制が整備されていなかったため明確な前兆現象が観測されず、また活動自体も山麓から噴気が観察できる規模ではないまま同年10月28日に水蒸気爆発を起こし、約1,000 mの高さにまで噴煙を噴出した。 同日5時頃に発生した噴火は14時に最大となり、その後衰退した。 噴出物の総量は約二十数万トン。 噴煙は北東方向に流れ、長野県や群馬県にまで降灰が観測された。 この噴火をきっかけとして、日本国内における火山の分類(死火山、休火山、活火山の定義)そのものが見直されるに至った。 現在では「活火山」以外の用語は使用されない。 火山史 [ ] 御嶽山の西山腹にあるの 御嶽火山の活動史は休止期を挟み古期と新期の2つの活動期 と新期以降から現在までの静穏期の3つに分けられる。 なお、各々の始まりと終わりの年代に関しては研究者により5万年程度の差違がある。 また、最後のマグマ噴火は三ノ池を埋めた五ノ池の噴火と考えられているが噴火年代は不明である。 古期御嶽火山(78万年前以前から39万年前) 古期御嶽火山は現在と同じ位置に噴火口を有する中心火山により形成された、標高3,200-3,400 mほどの、、により構成される群。 古期御岳火山は、溶岩層の年代値と岩石学的特徴から、約78万年前以前から64万年前の降下が卓越するステージと、約64万年前から39万年前の溶岩流が卓越するステージに大きく区分される。 降下テフラが卓越するステージは更に3つのサブステージに細分される。 また、溶岩層の年代値と分布から4つの火山体が推定されている。 広域テフラとして、湯川テフラ5と、上浦沢テフラがそれぞれ、中の白尾テフラ(約77万年前 )と、笠森12テフラ(60-58万年前)に対比される。 このうち、白尾テフラはの直下に存在し、の年代を高精度で決定するのに役立ち 、 というの命名に大きく貢献した。 78万年前から65万年前 - 東部火山群• 68万年前から57万年前 - 土浦沢火山• 64万年前 - 東山腹に倉越溶岩を噴出した。 周りの地層が浸食されて、堅い溶岩がレリーフ状に残り現在の倉越高原を形成。 54万年前から52万年前 - 上俵山火山• 44万年前から42万年前 - 三笠山火山• 東山腹に安山岩質溶岩の三笠山溶岩を噴出。 休止期(約39万年前から10万年前) 約10万年前まで約30万年の活動休止期間が続く。 山体はを受けて深い谷と和村泥流を形成。 新期御嶽火山(約10万年前から2万年前) 活動域からは摩利支天火山群と西側の継母岳火山群に分類される。 継母岳火山群 - 約9万年前の爆発的な噴火により、御嶽第1軽石層や塩尻軽石層、Pm-Iテフラを噴出し、広域テフラをまで降らせた。 この活動は、で古期御嶽火山の中央部に直径5-6kmのカルデラ形成する活動であり、からデイサイトのシン谷溶岩層、湯ノ谷溶岩層、濁滝火砕流堆積物、三浦山溶岩層などを形成。 総見かけ噴出量 50 km 3(30 km 3 DRE)。 摩利支天火山群 - カルデラが形成された後の約8万年前から約2万年前の活動では摩利支天火山群の濁河火山、金剛堂火山、奥の院火山、草木谷火山、継子岳火山、およびほぼ南北方向に並ぶ小火山群として四ノ池火山、一ノ池火山、三ノ池火山などの火口から安山岩質の溶岩・火砕物などを噴出。 噴出量は四ノ池火口由来が最大で、一ノ池火口と二ノ池火口は山頂の小カルデラ内に形成された。 また、現在の御嶽山の最高点の剣ヶ峰の火口丘と南北に並ぶ山頂群が形成された。 約6万年前 - 摩利支天溶岩を噴出した。 摩利支天第6溶岩が濁河川の支流の大俣川に沿って流下して形成されたである「」(所在地が下呂市落合中サキ平)は、(昭和32年)に岐阜県のの指定を受けている。 約5万年前 - 大規模な山体崩壊を起こし崩壊した土砂は東山麓の西野川から王滝川、木曽川流域を埋め約200km下流の愛知県にもその泥流の堆積物が残された。 約2万年前から現在までの静穏期 2000年代以前は、約2万年前からはマグマを噴出しない活動が主体で静穏な期間と考えられていたが、近年の研究では最近1万年間で4回のマグマ噴火と10数回の水蒸気爆発が起きたと考えられているほか、東山腹で山腹割れ目噴火も生じている。 約1万年前 - カラ谷火砕流で1740万 のを中規模に降下した。 約9,000年前 - 三ノ池溶岩で5億 m 3の大規模な噴出をした。 約6,000年前 - 五ノ池火口が形成された。 約5,200年前 - 女人堂スコリアで140万 m 3の小規模な噴出をした。 約5,000年前 - 濁滝スコリアで35-75万 m 3の小規模な噴出をした。 有史以降 後の火山活動(2014年10月11日) 『御嶽山 地質と噴火の記録』千村出版によれば、とに噴火活動があったとされているが、後の研究によりこの2回の噴火は発生していなかったことが明らかとなっている。 有史以降最も活発な活動は1979年に始まった。 19世紀前半 小規模な噴気活動を示す記録が残る。 1968年 気象庁「火山観測指針」 の63活火山に掲載。 1975年 気象庁「日本活火山要覧」 の77活火山に掲載。 1979年(昭和54年) 地獄谷上部の標高2,700 m付近を西端とし東南東に並ぶ10個の火口群が形成され 、噴出量は18万トンから20数万トンほどの小規模な噴出量であった。 最大降灰深度は溫田原で 3cmと報じられた。 なお、噴出当初の火山灰は湿り気を帯び、、などを主成分とする 2 - 3mmkの粒状であった。 また、モンモリロン石を含むことから山頂地表下の浅い場所に溜まりが存在し、その泥漿溜まりが深いところからの高温ガスによって熱せられ爆裂的に噴出したと考えられている。 約50名の登山者がいたが負傷1名。 4月頃から三ノ池の水の白濁化。 10月28日• 噴火の6時間前頃から、山頂直下の地震増加。 5時頃 - 水蒸気爆発が起こり、王滝村役場の職員が頂上付近で高さ150 mの噴煙を確認した。 5時15分頃 - 王滝頂上から山頂へ向かった登山者が臭に気付き、15分後に降灰を受けた。 6時頃 - 王滝口7合目の登山口(田の原)で登山者、頂上付近で黒煙が上昇するのを目撃し、頂上にいた登山者はに似た音やかなりの煙に気付いた。 9時頃 - から白煙が1箇所から上昇しているのが確認され、田の原では白煙が茶色に変わるのが確認された。 9時30分 - から山頂の山小屋が黒い火山灰に覆われて、高さ1,000 mの噴煙が東北東に流れているのが確認された。 11時 - 定期航空便が高さ1,800 mの噴煙と下部で灰色の火山灰が上がっているのを目撃し、三岳村では降灰のため暗くなった。 12時 - 、臨時火山情報第1号発表。 12時30分頃 - 状の噴煙が確認された。 八合目付近まで噴石が飛ぶ。 噴火口付近では、直径1 m程の岩が飛ぶのが確認された。 噴煙は、4000mから5000mまで。 15時頃 - 三岳村では降灰が盛ん。 では降灰により視界が10-20 m程となり、道路照明自動点灯。 16時頃 - 開田村での降灰徐々に弱まる。 17時頃 - 王滝村から多量の黒い煙が確認され、王滝頂上の山小屋の裏の方では白い噴煙が確認された。 王滝口村では多量の降灰が続いていた。 18:45 - 長野地方気象台、臨時火山情報第2号発表。 10月29日 - 噴煙の量は減少して白色に変わり、火山灰の降灰も少なくなった。 10月31日 - 噴煙には火山灰が含まれなくなった。 御嶽山 火山性地震回数推移グラフ 2006-2007• 11月4日 - 白色噴煙 100m、活動小康状態続く。 12月2日 - 深夜から山頂付近で微小地震と鳴動を観測。 微小地震は数日間続く。 12月末 - 噴煙極めて少量。 気象庁『日本活火山総覧』の77活火山に掲載。 9月14日• (平成3年)5月中旬 - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きて、10トン程度の火山灰を噴出した。 約1ヶ月前から火山性地震。 79火口群の一部の八丁ダルミ直下南と山頂直下南面の地獄谷の上部の噴気孔から噴気活動が続いている。 粉体流(火砕流)が発生していたとする報告がある。 2004年 微弱な地震と噴気活動。 (平成19年)3月16日頃 - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きた。 約4ヶ月前から火山性地震と山体膨張、約2ヶ月前から低周波地震と火山性微動。 (平成20年)3月31日 - 気象庁は、の導入に伴い、噴火予報(噴火警戒レベル1、平常)を発表した。 (平成26年)• 8月末より火山性地震を観測。 9月27日 - 11時52分に噴火。 (昭和4年)ににがの調査を行った。 御嶽山には、5つのがあり、一ノ池から五ノ池の名前が付けられている。 常に水をたたえているのは、色の二ノ池と三ノ池である。 二ノ池は日本で最も高いところ 2,905 m にある形状の水深3. 5 mので 、集水面積は湖面の数倍あり、などの飛騨山脈の火口湖と比べて水位の日変化が40 程と大きいのが特徴である。 昼夜の気温差による雪解け量の差がその原因である。 夏でもが残り、北西斜面の雪渓の雪解け水・天水・を集め、水位が極端に上昇した場合には、東端にあるニノ池小屋付近から北東に排水される。 1979年の噴火活動の際に、ニノ池に大量の硫黄が流れ込み池の水は度が強くなった。 周辺の山小屋ではこの湖水をポンプで送水して宿泊者のためのお風呂の水に利用していた時期もある。 三ノ池は御嶽山で最大の池で 、湖盆の平均斜度14. 4度、水深が13. 3 m、8月初旬の平均水温が表面で9. 7 低層で9. 三ノ池畔にはと白龍王初春姫大神などの神々が祀られていて 、三ノ池の湖水は信者の御神水(ごしんすい)とされている。 王滝村御嶽神社里宮御神水とともに「信州の名水・秘水」の一つに選定されている。 四ノ池はとなっていて、小川が流れており、の群生地となっている。 なお、二ノ池北西の斜面の下、賽の河原との間に小さな窪地があり、多雨期には水がたまる。 これを六ノ池と呼ぶことがある。 賽の河原の西端、シン谷へ落ち込むところに日本最高所の 2,800 m がある。 この谷は兵衛谷となり濁河川と合流して小坂川となって、に注いでいる。 三ノ池のみにオンダケ(学名: Pseudostenophylax sp. )の幼虫が生息する。 画像 名称 標高 m 水深 m 備考 座標 一ノ池 2,990 涸れていることが多い ( ) 二ノ池 2,905 3. 5 日本の最高所の湖沼 北東岸にニノ池小屋 ( ) 三ノ池 2,720 13. 3 湖岸線の延長が705 m 湖盆平均斜度14. 4度 ( ) 四ノ池 2,690 高層湿原から東にが流れる ( ) 五ノ池 2,790 残雪期と降水後に水がある 池の北側に ( ) 滝が非常に多い山 [ ] 「御嶽山は滝の山である」と言われるほど、御嶽山を源とする河川には滝が多い。 地形が急峻で高低差が大きいこと、独立峰で山体が大きいこと、が多いこと、豊かなを育んでいて水が涸れることがないことなどがその成因となっている。 人が近づきにくいところにあるものが多いが、黒沢口から油木尾根の遊歩道沿いにある百間滝(西野川の支流の南俣川)、開田高原の尾ノ島滝、王滝口の滝・清滝、付近の仙人滝・緋の滝、に選ばれたなど、比較的簡単に目にすることができる滝もいくつかある。 新滝と清滝は御嶽教の行場で、新滝にはがありここに籠ってを行い滝に打たれる行場となっている。 冬に新滝(落差約30 m)と清滝は氷柱となる。 黒沢口四合目の霊神場周辺には、日ノ出滝、明栄滝、大祓滝、松尾滝などがありなどの神霊が祀られた行場となっている。 下呂市には落差5 m以上の滝が200以上あり 、多数の小坂の滝めぐりコースが紹介されている。 御嶽山は飛騨山脈に含まれるのか [ ] 南部のから望む御嶽山 御嶽山は北アルプス()の延長線上にあり、北アルプスに含めるという説もあるが、北側のとの間には稜線らしき峰々はほとんどないため、一般的には御嶽山は飛騨山脈には含まれないというのが定説である(ただし、旧乗鞍火山帯には含まれる)。 しかし、間を横切る河川は1本もないのも事実であり、明確な結論は出ていない。 著名登山家でも意見は分かれている。 なお、ガイドブック等でを3つに分けて紹介する場合、の山数が少ないので御嶽山を中央アルプスと合わせて掲載されるケースが多々ある。 このため、御嶽山を中央アルプスの山と思いこんでいる人も数多く存在するが、中央アルプスとの間には木曽川が流れており、明らかに中央アルプスには属さない。 の日本の主な山岳標高の一覧では、までが「飛騨山脈南部」、御嶽山は「御嶽山とその周辺」とされている。 御嶽山と鎌ヶ峰との鞍部には長峰峠(標高約1,350 m)がある。 歴史・信仰 [ ] 御嶽山はの山である。 通常は、、でと言われているが、このうちの白山又は立山を御嶽山と入れ替えて三霊山とする説もある。 日本の山岳信仰史において、富士山()と並びとして庶民の信仰を集めた霊山である。 の一つのの対象とされている。 最高点の剣ヶ峰にはとを祀った奥社がある。 御嶽山一帯はの行場であったが 、その後衰退していった。 中期に神沢杜口の『翁草』巻162で 御山は百日精進せずしては上り得ず、其間は行場に入りて修行をなす、昼夜光明真言を誦し、をとるなり。 其の料金三二分百日間の行用とす。 斯くのごとくなれば軽賦の者は登り得ず生涯大切の旨願ならねば籠らずとなり。 — 神沢杜口『翁草』巻162(室町時代中期) と記載されていて、山頂の御嶽神社奥社登拝に当たり麓で75日または100日精進潔斎の厳しい修行が必要とされ、この厳しい修行を行った者だけに年1回の登拝が許されていた。 この「道者」と呼ばれるの人々による登拝が盛んとなった。 (3年)にが、従者と共に武運を祈願するために御嶽神社の里宮で100日の精進潔斎を終えた後に登拝した。 前期の行脚僧も登拝し、周辺ので多くののを残している。 1785年(天明5年)に出身の覚明行者が、旧教団の迫害を退けて地元信者を借りて黒沢口の登拝道を築き 、軽い精進登山を普及させるに成功し、厳しい修行をしなくてもだけで登拝できるようになった。 その後、普寛行者が王滝口を開いた。 江戸時代に、王滝口、黒沢口および小坂口の3つの道が開かれることにより、尾張やなど全国で(他)が結成されて御嶽教が広まり、信仰の山として大衆化されていった。 江戸時代末期から明治初期にかけて毎年何十万人の御岳講で登拝され賑わっていた。 江戸時代末期の『』で、 登山道沿いにある優覚講霊神場 王滝口と黒沢口の参道には多数の霊場と修行場跡がある。 御嶽信仰では自然石に霊神(れいじん)の名称を刻印した「霊神碑」を建てる風習がある。 黒沢口の参道には登拝者を祀った約5,000基の霊神碑があり、王滝口の参道にも多数の霊神碑が並ぶ。 御嶽神社にはが祀られていて、遠く離れたやなどの遥拝所に御嶽信仰のやが設置されている。 江戸時代後期の絵師が『日本名山図会』この山を描いて、名山として紹介した。 林道黒石線と白崩林道のやの開業に伴い、ひのき笠と金剛杖のの信者で埋め尽くされていた登拝道に、一般の登山者が混じるようになってきた。 1985年(昭和60年)以降に山腹に4つのが建設された。 御嶽神社 [ ] 御嶽大神と呼ばれる、、を祭神とする。 王滝口に里宮と黒沢口に里宮と若宮があり、の奥社は王滝頂上、木曽御嶽神社黒沢口の奥社は山頂の剣ヶ峰にある。 (明治15年)6月に、小谷分喜が『御嶽神社社略縁起』を出版した。 1944年(昭和22年)に御嶽教などの教団と御嶽神社が「木曽御嶽山奉賛会」を設立し、その後「御嶽山奉賛会」と改称しの運営を行っている。 1984年(昭和59年)9月14日の御嶽山直下を震源とした長野県西部地震で一合目の里宮の拝殿と末社が半壊し、行場の清滝は滝つぼが土砂に埋まった。 御嶽神社黒沢口ではが奉納されている。 「」も参照 御嶽の四門 [ ] 遠方から御嶽の登拝にやってきて最初に御嶽山を望むことができる場所が「 御嶽の四門」と呼ばれていて 、などが設置された御嶽山の遥拝所がある。 これらはの四門として、岩郷村神戸が発心門、長峰峠が菩薩門、三浦山中が修行門、鳥居峠が涅槃門にたとえられていた。 木曽福島から黒沢口への古道の合戸峠や姥神峠などにも御嶽遥拝所があった。 岩郷村神戸 - を方面から最初に御嶽山を望める箇所 、現在の木曽町、山頂の東南東19. 8 km。 長峰峠 - 鎌ヶ峰との鞍部 - 覚明行者系の空明行者によって再興された御嶽大権現の碑が設置されている。 山頂の北北東10. 4 km。 三浦山中 - 戦乱で焼失したと記録されている。 阿寺山地の拝殿山、山頂の南西17. 2 km。 - 中山道、山頂の東北東29. 2 km。 が戦勝祈願のため、御嶽遥拝の鳥居を建造した。 普寛行者系の一心行者の石像が設置されている。 御嶽信仰を広めた行者 [ ] 覚明行者 [ ] 黒沢口の登山道の九合半にある覚明行者の霊場。 覚明行者は1785年(天明5年)に黒沢口を開き、翌年登山道の改修中にニノ池畔で病に倒れ、覚明堂(山小屋)の傍らにあるこの場所に埋葬された。 覚明行者(かくめいぎょうしゃ)は、(3年)に尾張国春日井郡牛山村皿屋敷の農夫丹羽清兵衛(左衛門)と千代の子として生まれ、は源助で後に仁右五衛門に改名、幼少期は新川村土器野新田の農家で養われていた。 出身地の愛知県ので、「北に御岳見はるかす 覚明行者の産湯の街に」と歌い込まれている。 (元年)10月の『連城亭随筆』で「の箱持ちをした後お梅と結婚し屋を開き商いをしていた」と記録されている。 ある時予期せぬ出来事(盗みを働いたと疑われたことがきっかけとする説がある)が起こり、各地で修行をしてとなった。 木曽谷の村々で布教活動を行い信者を増やした。 (2年)御嶽山を管轄する武居家と尾張藩木曽山村氏に登山許可の請願を行ったが、数百年に渡る従来の登拝型式(精進潔斎)を破ることになるため却下された。 しかし登山許可がないまま1785年(天明5年)6月8日に地元住民8名と、6月14日には尾張の38名の信者らと、6月28日には約80名を引き連れて強引に登拝を行った。 登拝したものは罪を受け、覚明行者も21日間拘束を受けたとされている。 (天明6年)にも多数の同志を引き連れて登拝を強行し黒沢の登山道の改修を行ったが、その最中の6月20日 にニノ池畔で病に倒れ、その直下にある黒沢口九合目の覚明堂の宿舎上の岩場に埋葬された。 山小屋「覚明堂」の横に覚明行者のが現存する。 その後覚明行者の志を受け継いだ信者により黒沢口の登山道の改修が完結され、覚明行者が強行登拝したことによって事実上の「軽精進による登拝解禁」となった。 信者が増加しにが生まれるようになったこともあり(寛政3年)6月には麓のが連名で武居家に軽精進登拝の請願を提出し、(寛政4年)1月1日に許可が下された。 6月14日から6月18日まで間に、入山料200文を徴収し、軽精進による登拝を認めるという規定が作られた。 (3年)に上野東叡山日光御門主から菩薩号が授与された。 覚明行者は麓の開田西野で村人に「の苗が育てば必ずができる」と教え、村人が苗を植えたら育ったことから開田の地名が生まれ、その由来が(文化3年)に設置された稗田の碑に刻まれている。 御嶽山を開山させた先駆者とされている。 王滝口三合目の清滝、清滝不動明王が祀られ、登拝者が水行を行う行場となっている。 普寛行者 [ ] 普寛行者(ふかんぎょうしゃ)は、(享保16年)に武蔵国落合で生まれ(本名が本明院普寛)、青年期にへ出てを学び、に仕えたと伝えられている。 (元年)に入門した本山派の修験者となった。 (寛政4年)5月に江戸などの信者を引き連れて開山のために旅立ち、6月8日から山に入り各地で御座(おざ) を行いながら6月10日に登拝し王滝口を開いた。 その後江戸方面での御嶽講を組織し御嶽信仰を普及させた。 (6年)にはの、(寛政7年)にはの開山を行い霊山の開山活動を続けた後、(元年)9月、巡錫中にで病に倒れた。 普寛行者は なきがらは いつくの里に埋むとも 心御嶽に 有明の月 — 普寛行者の辞世の句 の辞世の句を残している。 王滝口3合目の清滝上の花戸には普寛行者の墓塔がある。 1850年(3年)に日光御門主から菩薩号が授与された。 (明治23年)王滝村で普寛行者百年祭が開催され記念碑が建立された。 普寛行者の直として広山行者、泰賢行者、順明行者などがいて、その後次々に有力な行者が現れて御嶽講が広まった。 御嶽講 [ ] 御嶽山の登拝は行者と信者が一緒にその聖地を巡礼する旅(御嶽参り )でもある。 講者ごとに先達(せんだつ)に導かれて集団で登拝されることが多い。 普寛行者の没後有力な行者が次々と現れ、この信仰により病苦が救われると信頼され、最初に江戸など関東地方に普寛行者系の御嶽講社が開かれた。 その後、普寛行者の弟子である儀覚行者(きかくぎょうじゃ、-)が東海地方に宮丸講を初めて開き、覚明行者系の講社がを中心に西日本へと広まった。 の農民は木曽川の水源となる御嶽山をの山として尊崇していた。 木曽谷の地域でも普寛行者系の講社が次々と結成された。 各講の先達の魂は霊神として、そのが御嶽山の登拝道に鎮められている。 この「死後我が御霊はお山にかえる」という信仰に基づく霊神碑が御嶽山信仰の特徴の一つである。 江戸時代から関東や尾張からが利用されていたが、(大正8年)のが全線開通するとから御嶽山へ歩き始めるようになった。 (12年)にが敷設された後、から黒沢と王滝までのが利用されるようになった。 (昭和41年)に有料道路林道黒石線が全線開通するとで直接王滝口の田の原へ入ることができるようになり、(昭和46年)有料道路白崩林道が全線開通すると貸切バスで直接黒沢口の中の湯まで入ることができるようになった。 現在は天気が安定している7月下旬から8月中旬頃に1泊2日または2泊3日で登拝が行われることが多い。 黒沢口から8合目の女人堂を経て山頂を往復するか、黒沢口から山頂を経て王滝口へ下るルートで登拝されるか、王滝口から山頂を往復するか、王滝口から山頂を経て8合目の女人堂を経て黒沢口へ下るルートで登拝されることが多い。 宗教教団 [ ] 黒沢御嶽神社里宮• (延長6年) - の勅使により、黒沢口に御嶽神社里宮が建造された。 (元年)- の勅使が登山参拝されたと伝えられている。 -(元年-3年) - が打倒平氏を祈願するために登ったと伝えられている。 - の登拝が盛んになった。 -(-年間) - がを打倒し、藪原峠に御嶽遥拝のを建造した。 (3年) - 王滝村祚宜彦五郎が『王御嶽登山清女行法巻』のを書写。 (4年) - 王滝村祚宜彦五郎が『王御嶽蔵王権現祭祀祝詞』を書写。 (3年)6月13日 - が従者と共に武運を祈願するために登頂した。 (19年) - 王滝村祚宜滝六郎右ヱ門が『嶽由来記』を記す。 (元年) - 王滝村祚宜滝六郎右ヱ門が『御嶽山縁記』を書写。 -(年間) - 者のらが山域で生薬の採集や調査を行った。 (4年) - 「山村家給人古畑助三郎以下四十一名」の道者が登拝したと記録されている。 (5年) - 尾張の覚明行者によって黒沢口が開かれた。 御嶽信仰の山としてに、一般にも開放されるようになった。 (3年) - 小坂口が開かれた。 (寛政4年) - 山村良喬により御嶽山の軽精進登山が許可され、武居家から「登山に付谷中へ通達の事」が通達された。 6月 - の普寛行者が王滝口を開いた。 (2年) - 普寛行者の弟子である寿光行者が御嶽山の霊草百種を採り集め、煎じて生薬としたと伝えられている。 (元年) - 剣ヶ峰の御嶽神社奥社の祠の石垣の改修が行われ、700枚ほどの大観通宝が出土した。 (5年) - 通達により神社仏閣地のが解かれた。 (40年) - 御嶽山上に御嶽夏季が開設された。 (14年) - 御嶽自動車商会(現在の)が開業。 (昭和27年) - 長野県側の山域がに指定される。 (昭和29年)3月 - 王滝口、自動車道路の建設開始。 - 山頂直下の八丁ダルミに、御嶽教のである「御嶽山頂上祭場」(日本で最高所の)が造られ、毎年「御嶽山大御神火祭」が斎行されるようになった。 (昭和36年)- 南山麓にが完成しの水がめとして、、を供給している。 (昭和41年)- 王滝口、林道黒石線(現在の村道41号線)が田の原まで全線開通。 1979年の水蒸気爆発でできた大ダルミ直下南の噴気孔からの噴煙(1990年10月10日)• (昭和46年)- 黒沢口、有料道路白崩林道が中の湯まで全線開通。 (昭和54年) - 南西側斜面で水蒸気爆発が発生し、有史以来の噴火となった。 (昭和59年)8時48分49秒 - 御嶽山直下を震源とした6. 8の長野県西部地震が発生し 、剣ヶ峰の伝上川上流で山体崩壊が発生し、岩屑なだれが流れ下った王滝川沿いの山麓に多大な被害をもたらした。 この際、(現存せず)が流失し、経営者一家が行方不明になった。 (昭和60年)- 東南東山腹におんたけスキー場(現在の)が開業。 (元年) - が開業し、通年運行され、冬はスキー場、その他のシーズンは、観光客や登山者に利用されている。 (平成8年) - 東山腹にが開業。 (平成9年) - 有料道路林道黒石線無料開放化。 (平成10年)- 北岳山腹にが開業。 (平成11年) - 岐阜県側の山域が御嶽山県立自然公園に指定される。 (平成16年) - 麓の及び、、、が合併してが誕生した。 (平成17年) - 麓の、及び、、、、、、、の1市2町7村が編入合併し新しい高山市となった。 - 麓の、及び、が合併してとなる。 (平成19年)- - 木曽町で日本山岳修験学会(木曽御嶽学術大会)が開催される。 (平成26年) - 南東斜面で水蒸気爆発が発生し、多数の登山客が巻き込まれる()。 御嶽山の環境 [ ] (7年)に松平君山が『吉蘇志畧』を刊行し、御嶽山について その東の峰に三つの池有り、一の池は水涸る、一の池は水少し、一の池は水満る、その水は流れて西のに至る。 この北を地獄谷と云う硫黄多し、その水流れて王滝に至る、濁川と云う、往々硫黄を取得す、その水甚だ臭し — 松平君山『吉蘇志畧』 と記載し、、、、などの解説と、などのの詳細なスケッチを残している。 標高3,000 mを越える高山であり、『木曽節』では「木曽の御嶽夏でも寒い袷やりたや添えて」と歌われている。 昭和54年)の噴火による荒廃で黒沢口登山道九合目の石室山荘周辺のハイマツが枯れたが、初頭の-頃から若芽が確認されている。 御嶽山のコマクサのがある。 王滝口登山道にある田の原天然公園を中心に約830 が、木曽御岳自然休養林に指定されている。 は著書『花の百名山』で、代表する花に一つとしてを紹介した。 標高1,500m以下の山麓では、、などのが見られる。 (7年)に西山麓の下呂市小坂町赤沼田で植栽されたヒノキの人工林が、1993年(平成5年)ににより「赤沼田天保ヒノキ植物群落保護林」の指定を受けた。 木曽町三岳では「御嶽黒光真石」と呼ばれる安山岩が産出され、御嶽信仰の霊神碑にも利用されていた。 現在も麓の田中石材店などで石材加工が行われている。 御嶽山の動物 [ ] 3万年前のにが生息していて、東山麓の開田高原はその狩猟場であった。 柳又遺跡からはやが出土している。 山頂付近の登山道の高山帯に生息するホシガラス、ライチョウ、などが見られる。 ライチョウ(雷鳥)は日本でに指定され 、によりの絶滅危惧IA類 、岐阜県では絶滅危惧I類、長野県では絶滅危惧II類に指定され、絶滅が危惧されている。 1981年の調査で50箇所あったライチョウの縄張りが、2008年の調査で28箇所に減少している。 2012年12月に、西側の前衛峰であるの御前山の標高1,500 m付近でライチョウ1羽(冬羽のメス)が確認され、冬期に尾根伝いに高山帯から移動してきたものと見られている。 山域には、、、、、などが生息し、、、、 、、などのも豊富である。 南東山麓の長野県木曽郡木曽町の「三岳のブッポウソウ繁殖地」は国の天然記念物の指定を受けている。 開田高原ではその産地であったが飼育されていて、長野県の天然記念物の指定を受けている。 のオンタケクロヨトウ(学名: Apamea ontakensis Sugi)の高山蛾は、御嶽山の高山帯のみに生息する。 の限られた山岳地帯に分布するチョウ目のウチジロナミシャク(学名: Dysstroma truncata fusconebulosa Inoue)は、岐阜県では御嶽山のみで分布が確認されている。 御嶽山の山上のコマクサ保護活動区域、江戸時代末期に「御神草」として採集され多くの自生のものが消滅した。 江戸時代末期に御嶽山のは「御神草」として珍重され、山頂部の高山帯に自生するコマクサは薬草として採集され、多くの自生のものが消滅した。 山頂部のコマクサ群落の再生活動が行われている。 1887年(明治20年)7月にのが登頂して高山植物を採集し、1889年(明治22年)にはらも採集し 、1933年(昭和8年)に植物学者の中野治房が御嶽山の植物生態を調査した。 山の上部のの高山帯には、、、、、、、、、、、、ハイマツ、、などの樹木と、、、 、、コマクサ、、、、、、、、などの多くのが自生している。 日本のであるオンタデ(御蓼)のは、この山で最初に発見されたことによる。 ウラジロナナカマドとタカネナナカマドとののオンタケナナカマド(学名: Sorbus x yokouchii M. Mizush. ex )が自生している。 中腹のでは、、、、、、、、、などの樹木と、、、、、、、、、、、、、などの草花が自生している。 下部の山地帯では、、、、、、、などの落葉広葉樹と、、、などのの針葉樹と、、ヒノキなどの、、、、、、、、、などの草花が分布している。 「御岳オサバグサ」(面積18. 39 ha)と「胡桃島ハイマツ等」が林野庁により、植物群落保護林の指定を受けている。 「木曽ヒノキ」は、「秋田のスギ」と「津軽の」とともに『美林』に選定されている。 南側は現在も火山活動中でありは貧弱で、北側はコマクサの群生地など豊富な植物相となっている。 にがこの山でのオンタケブシ(学名: Aconitum metajaponicum )を採集しその和名の由来となっている。 オンタケチブシは絶滅が危惧されていて、環境省の絶滅危惧IA類の指定を受けている。 御嶽山の山域に自生している。 生薬となるオウバクが麓のが製造する(御岳百草丸など)の主成分として利用されている。 多くのが分布し、江戸時代にの研究が盛んに行われ、この地域を領有していたが薬草の採取を行っていた。 1716年-1735年(享保年間)に本草学者の丹羽正伯らが山域で生薬の採集や調査を行った。 -(年間)に水谷豊文が山麓を中心とする『木曽採薬記』を刊行し 、山頂付近にコマクサが自生していることが記載されている。 1844年(天保15年)に周辺の木曽谷の山域で採取された植物のである『木曽産草花根皮類』が刊行され、アオノツガザクラ、、クロユリ、、チングルマ、など50種類などが型式にまとめられていた。 そのうちの24種が現在ので記載されていた。 が進んでいた尾張藩に属していて、山村代官により薬草の調査、栽培、管理が行われていた。 王滝口を開いた普寛行者により、『御嶽山の霊薬百種を採り集めよく煎じて薬を製せば霊験神の如し、これを製して諸人を救え。 』と村人などに伝授された。 1849年(嘉永2年)に王滝口を開いた普寛行者の弟子である寿光行者が、御嶽山の霊草百種を採り集め煎じて生薬としたと伝えられていて 、王滝村には「百草元之碑」には同村の胡桃沢弥七と小谷文七が普寛行者の遺法を基に百草を製造したと記載されている。 御嶽信仰の広がりと共に木曽御嶽の「御神薬」の百草が各地に広まった。 百草は御嶽参りのとされていた。 南山麓では(御岳百草丸)と(御嶽山日野百草丸)が、の樹皮の内側の木の層の「オウバク」を主成分とした「」()を製造している。 この薬箱には「山三丸マーク」と呼ばれる御嶽信仰を象徴するマーク(御嶽神社や登山道の霊神碑の刻印などでも使用されている)が印刷されている。 なおこの山三丸マークを使用するについて製薬会社間で訴訟「平成9年(行ケ)213号 審決取消請求事件」が行われた。 以降はの常備薬として需要が高まり、山域のキハダは昭和初期には伐採し尽くされ、他の地域や海外から輸入する事態となり、現在は大半をのから輸入に頼っている。 百草には「御嶽山の五夢草」であるコマクサ、オンタケニンジン、、、テングノヒゲが含まれ 、となども利用されていた伝えられている。 御嶽山の国有林 [ ] 鎌倉時代から昭和初期まで山腹から山麓にかけての森林で木曽五木などが伐採され、その伐材は木曽川を利用して川流しが行われていた。 山域の森林は江戸時代には尾張藩により管理され、明治になると御料林となり、現在山域の多くはとなっている。 その大部分がに指定されている。 御岳特定地理等保護林(旧御岳垂直森林帯植物群落保護林、面積1,540 ha)などで、自然環境の維持や動植物の保護ための国有林の保護管理が行われている。 千間樽国有林と胡桃島国有林の一部が、「御岳自然休養林」に指定されている。 下呂地区(岐阜森林管理署管内)• 落合国有林 - 、などの落葉広葉樹と、、、などの針葉樹林が分布し、が植林されている。 高山地区(岐阜森林管理署管内)• 幕岩下国有林• 千間樽国有林• 胡桃島国有林 - 胡桃島ハイマツ等植物群落保護林がある。 幕岩下国有林 王滝口にある田の原天然公園(木曽御岳自然休養林)から望む残雪を抱いた御嶽山• 木曽谷地区(木曽森林管理署管内)• 三浦国有林 - 古くからヒノキの山地として知られ、江戸時代初期に伐採されていて、痕地にチマキザサ(学名: Sasa palmata)などが分布する。 上部ので濃飛などで構成されている。 王滝御岳国有林• 樽沢国有林• 浦沢国有林• 障子沢国有林• 御嶽国有林• 黒沢御岳国有林 - 黒沢口の油木尾根沿いの百間滝道には江戸時代に尾張藩が植林した樹齢200年以上のヒノキの美林が広がり「油木美林」と呼ばれている。 新高国有林• ヤケノ国有林• ヌカネ国有林• ナガウ原国有林 登山 [ ] 王滝口上部の富士見石、この高さまで登ると富士山が前衛の中央アルプス越しに頭を出し始める。 古来より信仰の対象として少数の修験者によって登られ、江戸時代に覚明行者が黒沢口を開き、普寛行者が王滝口を開き全国各地に御嶽講が広まり信者による集団登拝が盛んに行われ、現在もの登拝者が見られる山である。 江戸時代の御嶽登山者の病気や凍死による死亡者の記録(御嶽山遭難者遺族差出証文など)が多数残されていて、(4年)には山頂の強い風雨で7人中5人が凍死するが起きた。 1868年(明治元年)に黒沢口8合目の「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始した。 1872年(明治5年)に女人禁制が解かれるまでは、避難小屋などとして登拝者に利用されていた女人堂から上部への女性の立入りは禁じられていた。 明治初期に外国人の登頂により近代登山が始まった。 1894年にが登頂して以降、一般の登山者にも登られるようになった。 ウェストンと同時期にのが来訪した際に登頂し、『オカルト・ジャパン』(第1章「御嶽」)で当時の様子を記している。 (明治40年)のやに乗る御嶽山登山者の写真が残されている。 御嶽山の登山口は側から3つ(王滝口、黒沢口、開田口)、側から1つ(小坂口)が昔から利用されていたが、その後日和田口が比較的新しく開かれた。 1979年10月の噴火により、山頂から4合目までが入山規制された。 1981年に山頂部の火口付近を除き入山規制が解除された。 気象庁が発表する噴火警戒レベルにより入山が規制される場合がある。 木の丸太などで整備された階段状の登山道は「木曽御嶽奉仕会」などによる地元の有志や御岳信仰の関係者によって修復整備がなされている。 3,000 mを越える高峰であるが登山口の標高が高いため日帰りで登山されることもある。 麓の開田中学校や王滝中学校、下呂市の小学校などで学校登山が行われている。 黒沢口などでは御嶽講の先達を背負ったり、信者の荷物や、山小屋の物資を運ぶを担う人がいる。 1954年(昭和29年)から8月8日に山頂直下(剣ヶ峰と王滝頂上の間)の八丁ダルミで、御嶽教の御嶽山大神火祭が行われている。 大多数の信仰登山者が利用する黒沢口と王滝口の登拝道は、一般登山道としても利用されている。 積雪期の登山において難所はないものの、独立峰のため山頂付近が強風でとなるため滑落に注意を要し、視界が悪い時にはルート判断が難しくなる山である。 百名山ブームもあって、による登山ツアーが多数行われた。 2014年9月の噴火により、噴火警戒レベルが3 入山規制 に引き上げられたことに伴い、火口から概ね4kmの範囲が立入禁止区域に指定された。 2015年6月、噴火警戒レベルが2 火口周辺規制 に引下げられたことに伴い、立入禁止区域は火口から概ね1kmの範囲に縮小された。 2017年8月に噴火警戒レベルが1 活火山であることに留意 に引き下げられたが、現在も火口から概ね1kmの範囲は立入禁止区域である。 黒沢口登山道では、7月から10月までの登山シーズンの期間に限り、登山道のみ立入規制の緩和 を行い、剣ヶ峰まで行くことができる。 「岐阜県北アルプス地区及び活火山地区における山岳遭難の防止に関する条例 」により、御嶽山の火口域から4km以内の地域 に立ち入る場合には登山届の提出が義務づけられている。 長野県では「長野県登山安全条例 」により、指定登山道 を通行しようとするときは、あらかじめ登山計画書を届出 なければならない。 近代登山史 [ ]• (明治元年) - 黒沢口8合目の「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始した。 (明治6年) - とエドワード・デイロンが外国人としての初登頂をした。 (明治7年) - とのワイウイー・ハウス他2名が登頂。 (明治14年) - がウィリアム・ゴーランドと登頂し、『中部及び北方日本旅行案内』を執筆した。 (明治24年)8月 - ウォルター・ウェストンが登頂。 (明治26年) - が王滝口から御嶽講に加わり登頂。 (明治27年)8月14日 - ウォルター・ウェストンが黒沢口から再登頂し王滝口に下山、その後『日本アルプスの登山と探検』などの著書で御嶽山を含む日本の山々を世界に紹介した。 (昭和8年) - が登山を行った。 (昭和11年) - とであるが、王滝口から再登頂し小坂口へ下山した。 (昭和23年) - 麓のの生徒による学校登山が始まる。 (平成18年) - 王滝村を中心とした御嶽山でOSJおんたけスカイレース(競技)が開催され、以降毎年同レースが開催されている。 登山道 [ ] 各方面からが開設されている。 小坂口、日和田口利用者の中には、剣ヶ峰まで登らずに、飛騨頂上・継子岳あるいは、摩利支天山までの登山を目的とする登山者も多い。 一ノ池を取り囲むの西側の稜線に登山道があり、剣ヶ峰からニノ池小屋へのルートの一つとなっている。 以前は、の支流の濁川に沿って濁川温泉(現存せず)を経て、剣ヶ峰と継母岳の鞍部に登る松原新道があったが、の長野県西部地震により発生した伝上崩れにより崩壊し、廃道となった。 王滝頂上から望む継母岳と 王滝口 [ ] 車道で上がれる登山口は御嶽山で最も高い標高地点(田の原、標高2,160 m)であり、山頂の剣ヶ峰への最短ルートである。 途中での眺望が優れており、登山口から王滝頂上までのコースが常に上から下まで見渡せる。 登山口の田の原から王滝頂上までの間には8合目と9合目に避難小屋がある。 に相当する開山祭は7月1日に行われる。 積雪期には登山口の田の原への道路が閉鎖されるが、春先におんたけ2240のスキー場のゴンドラを利用して、雪山登山を行う例がある。 1合目に国常立尊、大己貴命、少彦名命を祀った御嶽神社里宮があり登拝口となっている。 3合目には清滝と新滝があり、清滝には清滝不動明王が祀られ、登拝者が水行を行う行場となっている。 5合目には子授け神霊である十二権現、6合目には眼の神様の八海山大神がある。 標高約2,190 mの田の原には田ノ原山荘と木曽御嶽自然休養林田ノ原自然公園があり、登山シーズン中には自動車で上がることができる。 田の原 - 7合目大江権現 - 金剛童子(8合目下) - 9合目石室 - 王滝頂上 - 剣ヶ峰 黒沢口 [ ] 黒沢口8合目の女人堂から望む御嶽山、金剛堂には多数の霊神碑が設置されている。 覚明行者によって開かれた最も古い登山道。 、に最も関わりの深い登山道でもある。 夏には「懺悔反省、」を唱える白衣の登拝者が見られる。 有人山小屋が合目ごとにある。 現在は7合目付近にの飯森駅(標高2,150 m)ができ、王滝口登山口の田の原とほぼ同じ標高まで歩かずに登ることができるようになったため、大半の登山者がロープウェイを利用するようになったが、6合目から歩く登山者は現在でも少なくない。 山開きに相当する開山祭は王滝口と同じ7月1日に行われる。 1合目に大己貴命を祀った御嶽神社若宮と少彦名命を祀った御嶽神社里宮があり登拝口となっている。 登拝道場には多数の霊神碑が並べられていて、4合目の屋敷場には御嶽山で最大規模の霊神場があり講社単位で建てられた多数の霊神碑がある。 松尾滝から油木尾根を経て百間滝から8合目の女人堂に至るルートは百間滝道と呼ばれている。 百間滝には百間滝小屋があり行場となっている。 中の湯(6合目)またはロープウェイ飯森駅 - 行場山荘(7合目) - 女人堂(8合目) - 石室山荘(9合目) - 覚明堂 - 剣ヶ峰 開田口 [ ] 木曽側の3つの登山口のうち、唯一、信仰のためでなく作られた登山道。 営林署(現・森林管理署)の作業道として開かれた。 距離は長いが、大自然を満喫することが出来る。 水場は4合目付近に湧き水があり、それ以外は三の池まで無し。 登山口の標高が低く(1,500 m)標高差が大きいため、健脚向き。 開田口4合目 - 7合目避難小屋跡 - 三ノ池避難小屋 - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰 飛騨頂上、この直下南に五の池小屋がある。 小坂口 [ ] 剣ヶ峰へのアプローチが長いためか、現在は信仰登山者はほとんど見かけず、一般登山客が多い。 このルートのは、毎年に御嶽神社飛騨口里宮で開催されている。 下山時にを楽しめるのが魅力のコース。 なお、登山口を胡桃島とし、のぞき岩避難小屋下で濁河温泉からの道と合流するコースもあるが、このコースを特に胡桃島コースと称することもある。 飛騨頂上の五の池小屋は、2010年に新館が増築され収容人数が100人に倍増した。 なお、平成30年6月豪雨の影響により登山道が崩落したが、迂回ルートが整備され2018年9月より通行可能となった。 - 湯の花峠 - のぞき岩避難小屋 - 飛騨頂上() - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰 日和田口 [ ] 継子岳頂上を目指して登るコースで宗教登山に由来しないコースのひとつ。 のの開発に伴い、通年運行されるの「フライングチャオ」を利用することが多くなり、旧来の登山口からの登山は減った。 ゴンドラリフトを使用した場合は王滝口とほほ同じ標高(2,190 m)まで登ることができるが、継子岳から最高峰剣ヶ峰までの距離が長い。 また、ルートは他のコースに比べてあまり手入れがされていない。 2010年現在、フライングチャオはスキーシーズン(12月初旬 - 5月初旬)のみの運行となっており、春 - 秋の登山には利用できなくなっている。 日和田口またはゴンドラリフト山頂駅 - 継子岳 - 飛騨頂上(五の池小屋) - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰 山小屋 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 二ノ池畔にあるニノ池小屋、涸れることない池から水がポンプアップされ周辺の山小屋に送水されている。 御嶽山は宗教登山が盛んであるため、も宗教施設としての側面がある山小屋が多い。 五の池小屋は近代的なアルペンスタイルの山小屋である。 各登拝道や山頂などに多数の山小屋と避難小屋がある。 登山道上に指定地はないが、胡桃島口の登山口に「胡桃島キャンプ場」がある。 それらの山小屋は大広間や客室内に御嶽神社の掛け軸などが祀られている。 また、王滝口・黒沢口の開山祭の7月1日以降の営業開始となる小屋が多く、営業終了は山小屋によって差があるものの、8月末から9月末までの間が多い。 御嶽神社・御嶽教・木曽御嶽本教は山開きを7月10日から9月10日までとしているため、その間は特に白装束の宗教登山者の宿泊利用や立ち寄り利用が多い。 なお、五の池小屋は例外的に例年6月1日から10月15日までの営業と、長期間の営業を行っている。 8合目と7合目の山小屋は紅葉シーズンも営業する。 山頂地域に多くの有人山小屋があるが、黒沢口には途中にも合目ごとに有人山小屋が営業している。 2014年噴火以前は、二ノ池の水を飲料水などの水源としている山小屋が多く、二ノ池から遠い「五の池小屋」や7合目以下の山小屋以外の山小屋は「二の池水組合」を設立し、共同で水道施設の設置・維持・撤去を行っていた。 また、日頃の水源ポンプ施設の操作は「二ノ池本館(現:二ノ池山荘)」のスタッフが行い、豊富な湖水を使って「二ノ池本館(現:ニノ池山荘)」「二ノ池新館(現:二の池ヒュッテ )」「石室山荘」「覚明堂(現在無人)」では、宿泊者向けの風呂を毎日用意するほか、宿泊者が少ない時のみ宿泊者にスタッフ用の風呂を提供する山小屋もあったが、2014年噴火の降灰によると思われる湖水の酸性化により、現在は湖水からの取水利用は行われていない。 かつて、山小屋のトイレはほぼ垂れ流しの状態であったが、環境問題への関心の高まりを背景に、有人の山小屋については汲み取り式のトイレへと改修が進められている。 汲み取られたし尿は、ヘリにより麓まで運搬し処理業者へ引き渡される。 そのらの維持費用が高額となるため、トイレ利用者に一回の利用につき100円の協力金の負担をお願いしている。 有人山小屋 [ ] 八丁ダルミ付近の登山道から望む御嶽山の最高点の剣ヶ峰、山頂部に御嶽神社、御嶽剣ヶ峰山荘、御嶽頂上山荘(2014年9月6日)• 王滝口…田の原登山口2軒(田の原山荘および御嶽観光センター・ただし山小屋とされないことが多い)・王滝頂上(王滝頂上山荘)・剣ヶ峰山頂(御嶽剣ケ峰山荘・旧称「剣ヶ峰旭館」)• 黒沢口…7合目(行場山荘・旧称「一ノ又行者小屋」または「覚明行場小屋」)・8合目(女人堂・別称「金剛堂」)・9合目(石室山荘)• 小坂口…飛騨頂上()• 二ノ池周辺…池畔(二ノ池山荘)・飛騨側(二の池ヒュッテ)(なお、二ノ池山荘と二の池ヒュッテは全くの別経営である) 画像 名称 所在地 御嶽山からの 方角と 収容 人数 備考 小坂口飛騨頂上 五ノ池の北畔 2,780 北 1. 8 100 2010年増築 女人堂 黒沢口8合目 2,470 東 1. 6 120 別名が金剛堂 石室山荘 黒沢口9合目 2,800 東北東 0. 7 80 二の池ヒュッテ 二ノ池の北西傍 2,900 北 0. 7 250 2014年9月噴火前は入浴施設があった 二ノ池山荘 二ノ池の東畔 2,900 北北東 0. 6 100 2014年9月噴火前は入浴施設があった 以下は、2014年9月噴火の前まで営業していた山小屋である。 画像 名称 所在地 御嶽山からの 方角と 収容 人数 備考 覚明堂 黒沢口9合半 3,000 東北東 0. 6 100 傍らに覚明行者の霊場 御嶽頂上山荘 山頂直下南東 3,040 南東 0. 03 70 御嶽剣ヶ峰山荘 山頂直下南東 3,040 南東 0. 03 150 王滝頂上山荘 王滝口頂上 2,930 南南東 0. 5 100 王滝御嶽神社奥社と隣接 田ノ原山荘 王滝口7合目 2,200 南東 3. 0 136 御嶽観光センターに隣接 避難小屋 [ ]• 王滝口…8合目避難小屋、9合目避難小屋• 開田口…7合目避難小屋(荒廃し倒壊)、三ノ池避難小屋、白竜避難小屋 焼印 [ ] 多くの有人山小屋や山頂神社社務所では、宗教登山に使われる金剛杖にを押印するサービスを有料で行っている。 1891年(明治24年)に登山道の神社などで、「登山杖に記念の印を捺します」の看板が設置されこの焼印が行われていた。 で特にポピュラーなサービスであるが、御嶽山でも実施する山小屋を少し減らしながらも現存しており、貴重な存在である。 ただ、富士山ほど押印希望者は多くなく、希望者が現われてから焼印を加熱するところが多いため、焼印に時間がかかることが多い。 また、押印の料金も富士山よりも割高になっている。 登山者数の推計 [ ] 昭和中期までの木曽側からの御嶽山の登山者数は下表のように推計されている。 2010年頃の黒沢口から入山者は年間3万人を越える程度であった。 年度 登山者数 備考 (明治20年) 8,000 故老の談話による (大正3年) 30,000 『木曽案内』による (大正6年) 50,000 丸山梓水『木曽』による (昭和4年) 37,900 木曽福島駅調査による (昭和11年) 41,999 (昭和14年) 63,020 (昭和26年) 26,900 (昭和30年) 31,458 地理 [ ] 木曽川水系の源流の山であり、西側から、東と南側から王滝川などの本流へと流れ側のへ流れる。 剣ヶ峰の山頂には(点名が「御岳山」、標高3,063. 41 m)が設置されていて 、のひとつに選定されている。 最高点は御嶽神社の西側のある岩の標高点。 南東中腹の王滝村の区域は「御岳高原」と呼ばれている。 周辺の山 [ ] から望む御嶽山(左)と(右) 独立峰であるため、周囲の多くの山からその山容を望むことができる。 山頂部は広く、複数のピークから成る。 からも北東にその大きな山容が望める。 岐阜県側には前衛の山として、ぎふ百山の一つである御前山(1,646 m)と続ぎふ百山の一つである下呂御前山(1,412 m)がある。 山容 山名 標高 m 三角点等級 基準点名 御嶽山からの 方角と距離 km 備考 2,702. 14 一等 「白山」 西北西 70. 2 日本百名山 3,025. 73 一等 「乗鞍岳」 北北東 24. 6 日本百名山 2,121. 25 二等 「鎌ケ岳」 北東 18. 3 御嶽山 3,067 (一等) 「御岳山」 3,063. 61m 0 1,981. 86 二等 「小秀山」 南南西 14. 1 2,956. 14 一等 「信駒ケ岳」 東南東 31. 4 日本百名山 2,191 (一等) 「恵那山」 2,190. 28m 南南東 51. 0 日本百名山 源流の河川 [ ] 南山腹の水系王滝川上流部にある 源流となる以下のは木曽川水系でへ流れる。 山頂の南東13. 4 kmにある王滝川の牧尾ダムの 御岳湖に貯水された水は愛知県などの、工業用水及び農業用水に利用されていて、その上流部にはの水力発電用の(山頂の南西11. 0 km)がある。 王滝川のの濁川上流部の赤川では浸食と崩落が激しく「地獄谷」と呼ばれている。 南面の王滝川の支流の濁川は、1979年10月28日噴煙後地獄谷上部の火口から白いガスと火山灰で黒色となった温泉水が大量に流れ出て白く濁った。 西野川、白川、王滝川(木曽川の支流)• 飛騨川• 秋神川、小坂川(飛騨川の支流) 主な峠 [ ]• - 乗鞍岳との間に映画『』などで有名となったがある。 標高1,672 mでが通る。 長峰峠 - にある岐阜県と長野県との県境で、暮岩川(飛騨川の支流)と西野川(木曽川の支流)とのとなっている。 九蔵峠 - 国道361号のにある峠で、九蔵峠展望台からは西南西に御嶽山を望むことができる。 濁河峠 - 秋神川と濁河川(小坂川の支流)との分水嶺となっている。 白巣峠 - 白川(王滝川の支流)ととの分水嶺となっていて、林道が通る。 鞍掛峠 - 水無川(王滝川の支流)と竹原川(飛騨川の支流)との分水嶺となっていて、林道が通る。 交通・アクセス [ ] 南山麓の王滝川沿いには(大正12年)に竣工されたの王滝森林鉄道が敷設され、(昭和50年)5月30日までの材木の運搬に利用されていた。 1925年(大正14年)に御嶽自動車商会(現在のおんたけ交通)が開業、おんたけ交通は山麓や御嶽山の登山口までを運行している。 1963年(昭和38年)に西山腹の名古屋営林局小坂営林署が運営する濁河温泉線が開通し伐採した木材の運搬に利用されていたが、林道が敷設されトラックによる輸送への切り替えに伴い1971年(昭和46年)に廃止された。 1966年(昭和41年)に山麓の王滝村のから田の原までの「有料道路林道黒石線」が全線開通し、1997年(平成9年)4月1日に村道41号線(御岳スカイライン)として無料開放され、おんたけ2240のスキー場利用者、登山者、観光客などに利用されている。 が南東の山麓から通じ無料化された白崩林道を経て中腹の中の湯まで通じている。 東山麓をが通り、木曽町三岳の木曽温泉付近から御岳ロープウェイスキー場まで東山腹に「御岳ブルーライン」が通る。 その鹿の瀬温泉から上部は冬期閉鎖されている。 南東山麓の県道20号開田三岳福島線沿いにがある。 北東山麓にが通り、北山腹に、北西山腹にが通る。 西山麓の下呂市小坂町から濁河温泉までが通り、「御嶽パノラマライン」と呼ばれている。 小三笠山(標高2,029 m)の南面には御岳林道と王滝林道が通る。 主な交通機関 [ ]• の南西50 kmに位置する。 の西北西20. 0 kmに位置し 、JR東海の東南東21. 2 kmに位置する。 (高山清見道路)の南東37. 8 kmに位置し、の西42. 0 km、の北46. 3 km、の西南西51. 4 kmに位置する。 路線バス [ ] 岐阜県側のJR東海高山本線飛騨小坂駅及びから御嶽山の登山口である濁河温泉への路線は2007年(平成19年)11月30日に廃止された。 王滝・田の原線(黒沢・王滝線) - 長野県木曽合同庁舎前 - 木曽福島駅前 - 王滝 - 田の原(御嶽山登山口)、2006年7月よりおんたけ交通からに移管された。 御岳ロープウェイ線 - 木曽福島駅前から御岳ロープウェイまでの区間、2006年(平成18年)6月1日よりおんたけ交通からに移管された。 チャオスノーリゾート線(おんたけ交通) - 木曽福島駅前 - チャオ御岳スノーリゾート - 濁河温泉 観光 [ ] 濁河温泉(岐阜県下呂市、御嶽山の濁河口の登山口) 主な観光スポット [ ]• 御嶽山資料館 - 王滝口の二合目の木曽郡王滝村大又にある。 田の原天然公園 - 御嶽山の登山道の王滝口標高約2,200m付近に広がる天然公園で、湿原、背の低い帯にや展望台が整備されている。 御岳ロープウェイ - 御岳ロープウェイスキー場は2013年にスキー場の営業を休止していて、冬期の運行が行われていない。 開田高原 - の産地やの里としても知られ、体験ができる施設がある。 自然湖 - 長野県西部地震によりせき止められた木曽川の支流である王滝川上流の湖で、立ち枯れの木が湖の中に並んでいて夏季シーズンのが人気となっている。 - 王滝川の牧尾ダムによりできた。 おんたけ休暇村 - 御岳高原にある名古屋市の保険休養地、周辺には木曽御岳カントリークラブのがある。 - 御嶽山の濁河口の登山口にある温泉• 木曽観測所 - 東京大学大学院理学系研究科附属天文学教育研究センターの木曽観測所が木曽郡木曽町三岳10762-30にあり、(昭和55年)2月にとが発見したがその場所にちなんで『』と命名された。 - 北西山腹にある高地トレーニング施設。 2007年(平成19年)に濁河温泉付近に下呂市が「御嶽パノラマグランド」を開設した。 濁河温泉とチャオ御岳リゾートを結ぶ「飛騨御嶽ボルダーロード」が整備されている。 小坂の滝めぐりコース - 西山腹の下呂市小坂町の飛騨川の支流の小坂川には落差5 m以上の滝が200以上あり 、多数の滝めぐりコースが紹介されている。 滝によってはガイドが必要な箇所もある。 三ツ滝コース(椹谷) - 三ツ滝(上段の落差5 m、中段11 m、下段6 m)、あかがねとよ(落差14 m)、からたに滝(落差15 m)• 仙人滝コース(濁河川上流部) - 仙人滝(落差30 m)、無名の滝(落差15 m)、(落差15 m)、緋の滝(落差20 m) 詳細は「」を参照• 材木滝コース(兵衛谷) - 材木滝(落差23 m)、翡翠の滝(上段の落差10 m、下段8 m)• あまつばの滝コース(椹谷) - あまつばの滝(落差17 m)、二段の滝(上段の落差10 m、下段3 m)、孫八滝(落差15 m)、焼小屋の滝(落差17 m)• 観音滝コース(大洞川) - 観音滝(落差9 m)、立岩の滝(落差45 m)、塩滝(落差15 m)• 濁滝コース(濁河川) - 二段の滝(上段の落差10 m、下段10 m)、くの滝(落差15 m)、濁滝(落差27 m)• 岩折の滝コース(兵衛谷) - 岩折の滝(落差21 m)、屏風の滝(落差28 m)、吹上の滝(落差25 m)• 千畳の滝コース(真谷) - 千畳の滝(落差50 m)• しょうけ滝コース(兵衛谷) - しょうけ滝(落差23 m)、扇滝(落差6 m)• 龍門の滝コース(兵衛谷) - 龍門の滝(落差15 m)、袴滝(落差20 m)• 回廊の滝コース(椹谷) - 回廊の滝(落差40 m)、開門の滝(落差40 m)• 百間滝コース(兵衛谷) - パノラマの滝(上段の落差50 m、下段10 m)、百間の滝(落差60 m) スキー場 [ ] から望む「日和田富士」と呼ばれる継子岳 北側と東側の山腹には以下のがあり、の高い位置(上部は標高2,000 m以上)にあり雪質が良く、頃の遅い時期まで滑走が可能である。 王滝村は、村営であった旧おんたけスキー場のにより厳しい財政状況となっている。 (旧おんたけスキー場)• - 平成22年度より冬季営業休止• 眺望スポット [ ] 3,000mを越える高山であるが、奥深い山中にあるため、山体全体を眺められる場所は意外と少ない。 高山市中切町の「中切町付近の山より望む御嶽山」、高山市久々野町無数河の「舟山山頂道路より望む御嶽山」、高山市朝日町西洞の「鈴蘭高原より望む御嶽山」、高山市朝日町胡桃島の「胡桃島キャンプ場近く展望台より望む御嶽山」と「秋神地域より望む継子岳」が、「新高山市100景」のひとつに選定されている。 長野県側に、となどがある。 岐阜県側に、、日和田高原、御嶽鈴蘭高原などがある。 御嶽山の風景 [ ] 独立峰である御嶽山の大きな山容を、をはじめとした(や)や遠方の山 からなどの各方面から望むことができる。 東海地方の多くの の校歌で山名が歌い込まれている。 木曽谷では開田高原以外に麓から御嶽山を望める箇所は少ない。 5月中旬ごろ、東面の9合目付近に残雪の白い背景に黒色の種をまくお爺さんの姿の(ネガ型)が見られる。 は1965年(昭和39年)に第16回(評論・伝記賞)を受賞した『日本百名山』の著書で御嶽山の山容を この傾斜がみごとである。 厖大な頂上を支えるには十分な根張りをもって、御岳全体を均整のとれた美しい山にしている。 — 深田久弥『日本百名山』 と表現している。 各方面からの山容 [ ] 東のより 南のより 西のより 北のより 御嶽山からの展望 [ ] 山上部からは東に、、、、南になどの、濃尾平野、西になどの、北にニノ池、乗鞍岳などの北アルプスが望める。 越しの とご来光 継母岳と ニノ池と(北アルプス) メディア [ ] 古文書 [ ]• 『御嶽登山社礼伝祝詞巻』 - (4年)の古祭文• 『御嶽縁起』 - 室町時代の中期(天正20年)に書写された御嶽の神を祀る、祭文、などの• 『御嶽蔵王権現登山次第』 - -(年間)の筆写本で道者の王滝口での登拝の方法などが記載されている。 『登山古例之事』 - 道者の黒沢口での登拝の方法などが記載されている。 『御嶽由来伝記』• 『御嶽登山案内』• 『御嶽一山記録』• 『木曽採薬記』 - 1804年-1818年(文化年間)に水谷豊文が刊行。 『 』(画)にから望む御嶽山が描かれている。 『』のと - 1835-1837年(天保6-8年)頃に、により鳥居峠からの御嶽山の風景が描かれた。 『木曽産草花根皮類』 - (15年)に周辺の木曽谷の山域で採取された植物の「おしば帳」• 『御嶽山総図』 - (元年)• 『日本名山図会』 - 江戸後期、江戸のが、旅人と鳥居峠からの御嶽山の風景を描写している。 新聞 [ ]• 大型写真企画「御岳山」 - 信濃毎日新聞で2009年(平成21年)7月から2010年(平成22年)4月まで39回の連載 写真集 [ ]• 宮原卓司『信州木曽御嶽 山麓逍遙』遊人工房、2001年12月。 関連書籍 [ ]• 上野ミチオ『御嶽山』近代文藝社、1994年11月15日。 三浦清吉『木曽御岳山』〈登山・ハイキング 5 〉、1999年7月。 飛騨山岳会『飛騨の山 研究と案内』ナカニシヤ出版、2010年11月、160-161頁。 菅原壽清『木曽御嶽信仰とアジアの憑霊文化』岩田書院、2012年10月。 テレビ番組 [ ]• 『こころの時代 宗教・人生 山の信仰 霊山御嶽』 、1985年9月8日放送• 『日本百名山 御嶽』 、1994年11月3日放送• 『いのち輝く山 〜四季・御嶽〜』 、2005年1月1日放送• 『週刊 日本の名峰 御嶽山』 、2007年6月11日放送• 『絶景!夏の御嶽山 〜御嶽山〜 』 総合テレビ()、、2010年8月21日放送• 『小さな旅 山の歌 祈りの峰 いまも〜御嶽山〜』 NHK総合テレビジョン、、2010年8月28日放送• 『天空の宿へ 〜にっぽん山小屋物語〜』 、、2011年9月3日放送• 『にっぽん百名山 御嶽山』 、、2012年9月10日放送 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 厳密には御嶽山の最高点である剣ヶ峰の西北に位置する外輪山に、3,053. 4mの小ピークがある(1:5,000国土基本図(火山基本図)御岳山-国土地理院発行)。 中期に「王嶽」(おうたき)が「おんたけ」に変わったとす説がある。 3番目に標高が高い火山は(3,026m)、火山以外も含めた2番目に標高が高い山は(3,193m)である。 なお、日本の活火山で3,000mを超えるのは、富士山・御嶽山・乗鞍岳の3つである。 よく、四ノ池から落ちる滝が日本最高所の滝と言われているが、四ノ池の標高は2,690 mであるため誤りである• 魚のをしていたとする説もある。 7月23日とする説もある。 「御座」は普寛行者が普及させた術による神降ろしの儀礼と。 木曽山行巻の下で「義昌登嶽本意事」として記録されている。 永禄三年木曽長政御嶽之登り山神を享祭すべきと、黒沢に百日斎して同月十三日登御なり。 — 木曽山行巻の下「義昌登嶽本意事」• 岐阜県で絶滅危惧I類の指定を受けている。 岐阜県で準絶滅危惧の指定を受けている。 東隣のでは同様な採集が行われたことにより、自生していたものが消滅した。 御嶽山とに分布する希少な植物。 条件が良ければ、(通称大文字山)やなど、にある山から見えるという。 一例として「みはるかす尾張の平野独り立つ御岳」()、「朝あけの山なみ越えて空かぎる御岳はるか」()、「御嶽の峰に雲たなびきて」()、「雪の御岳やの山なみ遠く望む時」() 出典 [ ]• 2011年3月24日閲覧。 2013年2月12日閲覧。 2003年1月21日. 2013年2月15日閲覧。 2017年10月10日閲覧。 国土地理院. 2013年2月25日閲覧。 6-13• 産経新聞社 2014年9月29日. 2015年1月22日時点のよりアーカイブ。 2014年9月30日閲覧。 2014年10月2日閲覧• 国土地理院. 2015年2月14日閲覧。 長野県. 2016年11月17日閲覧。 岐阜県. 2013年2月17日閲覧。 気象庁 2013年1月. 2013年2月12日閲覧。 2014年9月27日閲覧。 地震火山部. 2017年10月10日閲覧。 2017年10月10日閲覧。 2020年6月1日閲覧。 2020年5月19日閲覧。 2020年5月19日閲覧。 2020年5月19日閲覧。 2018年9月27日. 2011年10月5日閲覧。 国土地理院. 2014年9月27日閲覧。 PDF. 『砂防と治水』 国土交通省 第199巻 : 109-110. 2016年11月17日閲覧。. 岐阜県社会教育文化課 1957年12月19日. 2016年11月17日閲覧。 御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画検討会 2011年7月. 2013年2月15日閲覧。 『信濃毎日新聞』. 2009年10月6日. の2009年10月9日時点におけるアーカイブ。 2009年10月7日閲覧。 気象庁 2007年6月21日. 2011年3月24日閲覧。 PDF. 2011年3月24日閲覧。. 火山活動評価検討会. 7 2009年6月. 2013年2月12日閲覧。 国土交通省多治見砂防国道事務所 2011年2月. 2011年3月24日閲覧。 名古屋大学大学院環境学研究科 2006年2月28日. 2016年11月17日閲覧。 国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所 2010年12月. 2013年2月15日閲覧。 気象庁. 2013年2月12日閲覧。 『地学雑誌』Vol. 89 1980 No. 4 P247-255• 林豊・宇平幸一 験震時報71巻 pp. 43-57• 『気象研究所研究報告』 第12号 : 172-178. 1984. 2011年3月24日閲覧。. 気象庁. 2013年2月15日閲覧。 国土地理院 2012年3月. 2016年11月17日閲覧。 地質学雑誌 110 3 : 158-174. 2017年12月25日閲覧。. gbank. gsj. 2020年5月20日閲覧。 産総研 中野俊• Kiota et al. 1998. 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御嶽山

御嶽 山 スキー 場

一の瀬スキー場前 上図参照。 たぶん正規の駐車場ではありません💦 ダイヤモンドとファミリーを繋ぐ橋の周辺ですね。 15台くらいしか停まらないので早いもの勝ち。 地図上では毛無池の方向です。 200台以上停まる駐車場がありますが、ジャイアントのチケット売り場まではちょっと遠い。。 横手山陽坂駐車場 1番高い所にある駐車場ですね。 狭いので土日は早く行かないとすぐに満車になってしまいます。 丸池スキー場 丸池ホテルさんの駐車場... だと思うのですが、一般客も停めてます。 マップ上も「P」と書いてあるのでOKかと。 イマイチと思う駐車場 ・ワーストは熊の湯ですね。 とにかく歩く。 チケット売り場着いた頃には疲れてる。 ・発哺ゴンドラ乗り場の駐車場も小さく、ゴンドラは目の前なのに歩くのは大変。 最後にここに滑り降りてくるのも嫌です💦 ・蓮池の山の駅も使わないですね~ ロープウェイがあった頃は停めてましたが、いまはバス利用者をターゲットにしているのかもしれません。 もちろん他にもサンバレー前や焼額山西館など広い駐車場があります!晴天で雪が締まっていれば問題ありませんが、大雪の日やファミリー、初心者にとっては少しでも車からのアクセスが良い駐車場をオススメします! それでは!.

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