五味 康祐。 五味康祐のオーディオ評論を読む。その2

Collection Showroom 五味康祐

五味 康祐

第143回 「」• 第145回 該当作品なし• 第147回 「冥土めぐり」• 第148回 「」• 第149回 「爪と目」• 第150回 「穴」• 第151回 「」• 第152回 「九年前の祈り」• 第155回 「」• 第156回 「」• 第157回 「」• 第159回 「送り火」• 第161回 「むらさきのスカートの女」• 第162回 「背高泡立草」• 2012年12月3日時点の [ リンク切れ]よりアーカイブ。 2018年9月1日閲覧。 『没後30年 五味康祐の世界展』図録• 著「升田幸三物語」(日本将棋連盟発行)• (公財)練馬区文化振興協会. 2018年9月1日時点のよりアーカイブ。 2018年9月1日閲覧。 , pp. 329-333, 五味先生を偲んで• (公財)練馬区文化振興協会. 2018年9月1日時点のよりアーカイブ。 2018年9月1日閲覧。

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五味 康祐

五味康祐のことは、何回かこのブログでも触れたことがある。 もし、興味がおありなら、下の方のTags:の 五味康祐をクリックして頂きたい。 半世紀も前に、みっちはオーディオに夢中になり、五味氏の著作もあらかた読んでいる。 その著作のあちこちに現れる、五味氏のオーディオ装置は、それはもう憧れの的であった。 金銭的には、到底購えるようなしろものではなかったから、ただもう著作を読んで、その音を想像するばかりであった。 彼のオーディオ装置、レコードなどの遺品は、今は練馬区文化振興協会が管理している。 今回(11月2日今日です)みっちが出かけた標題のレコードコンサートも、ここの主催である。 五味康祐氏は1980年に、自分自身が観相したとおりに、58歳で亡くなった。 その後、奥様が亡くなり、2005年には一人娘の由玞子様が急死され、法定相続人が絶えたのである。 色々いきさつがあったようだが、2007年以降は、同協会が管理するようになった。 当時の装置の状態は、相当ひどいものだったようである。 まずはその装置を見渡そう。 スピーカーは、もちろんタンノイ・オートグラフ(1964年製)、チーク仕上げである。 日本に入った第一号であろう。 複雑なバックロードホーンの筐体に収められている、15インチ・コアキシアル・ユニットはレッド(時期により色々なバージョンがある)である。 コーンエッジも含めて、完全オリジナル(新品の時から交換していない)だそうだ。 プリとメイン・アンプは、マッキントッシュC-22とMC-275、もちろん管球式である。 真空管自体は、2007年に協会が引き取って整備した時に、新品に換えてある。 電源は米国仕様なので、巨大な昇圧トランスを介している。 レコード・プレイヤーは、EMT930ST、カートリッジはもちろんEMT TSD-15だ。 楕円針の方だそうである。 930STはイコライザー内蔵なので、出力はC-22プリアンプのLineに入る。 C-22のフォノ・イコライザーはしたがって使われていない。 カートリッジも2007年当時に換えてから、5年ほどずっと使われてきた。 今回、なんとこのコンサートの2日前に新品に換えたばかりだそうである。 やっと、音がなじんできたようだ、という話であった。 そうそう、装置類は原則として、五味氏が使っていたそのままの状態であり、改良・改造は一切されていない。 ただ930STだけは、五味氏の使っていなかった防振台の上に乗せられている。 みっちの記憶では、確かこのEMT純正の防振台(この台だけで、いい値段したはず-汗)はかなり後になって、発売されたもので、五味氏は買う暇がなかったのではないか。 聴かせてもらったのは、五味康祐のレコード・コレクションの中から4枚、ハイドンの交響曲2枚と、モーツァルトの弦楽四重奏曲、それにト短調交響曲である。 このト短調交響曲のレコードには、カラヤンがVPOを指揮したRCA Victor LDS2347盤が選ばれていた。 (1959年録音) レコードコンサートのパンフレットには、五味康祐『西方の音』11カラヤンの章からの引用もあって、なかなか手が込んでいる。 (嬉) ところで、この『西方の音』の同章には、カラヤンの若い頃は良かったという流れで、「フィガロの結婚」の話が出てくる。 みっちの持っている本を、埃を払いながら引っ張り出してみると(汗)、 『念のために、古い「フィガロ」を私はきき直してみた。 その清新で優美な奏法にうっとりした。 気になって調べてみたら、これが録音されたのは、1949年-約20年前である。 』 とある。 1949年という記述は、もう一個所出てくる。 ところがである、カラヤンの「フィガロの結婚」の録音は、1950年のウィーン・フィルとの盤しか見つからないのだ。 しかも、これがカラヤン初めてのオペラ全曲レコーディングとなっている。 五味氏が間違えたのであろうか。 どうもよく分からない。 話が逸れた。 それで、肝心の音はどうだったんだい。 うん、それは。 で、どうだったの? う、うん。 本当はあまり書きたくないのだけれど、音は正直あまり褒められたものではなかったです。 (汗) 皆さん、大変な努力をしてレストアされているのが分かる。 半世紀以上経った機械が、まあ正常に動作しているだけでも凄い。 それはそうなんだが。 まあ、今日聴いた中では、弦楽四重奏がまだましでした。 オーケストラの方は相当きつい。 とにかく、みっちは、この音を一度聴いておきたかったということなのです。 以上 冒頭の写真は、EMT930STプレーヤーとTSD-15カートリッジ。 ああっ、美しいですぅ。 (汗) かかっているレコードは、ブーレーズ/NYPの「トリスタンとイゾルデ」序曲である。 2枚目は、タンノイ・オートグラフの銘板である。 マイナスのネジで留められているのに注意。 追記: カメラのことを書くのを忘れておった。 (笑) 別に、ブログに掲載する写真程度なら、iPhoneのカメラでも良いのだが、今回の対象は五味康祐氏がこよなく愛したオーディオ機器群である。 そこで、みっちもその情熱に敬意を表して、わが旗艦、ニコンD800Eを持って行った。 8G、なかなか良いレンズだと思います。 はじめまして yoshiatakaさんの「ヴェーグのモーツァルト」からやってきました。 私も五味康佑氏のエッセイに魅了された一人です STERO SOUND誌を読んでは世界の名器にあこがれ、五味氏の「オーディオ巡礼」を読んでは、その別次元のオーディオを羨ましく思っていました。 そして五味氏が亡くなってからも一度でいいからオートグラフの音を聴いてみたいものだと思いをはせておりました。 数年前、その再生音を聞けるチャンスがあったのですが抽選に外れてしまいました。 その時、幸運にも2009年の試聴会に参加できたブロ友さんの記事がこちらです と貼ったのですがURLを貼るとコメントが拒否されるよう記事の案内ができません (残念ながら数年前に急逝されました) どんな優れた音もメンテなくしてはその音質を保つことは至難のことでしょうね。 デジタルは勿論、アナログの世界は尚更でしょう とりとめもないコメントで申し訳ありません 今後とも宜しくお願いします パスピエさん、どうもコメントありがとうございます。 はい、このレコード・コンサートは、今は石神井公園に場所を移して継続しているようです。 「石神井公園ふるさと文化館」のページから入れます。 相変わらず抽選ですが。 みっちは1970年代のオーディオ全盛期に、五味康祐さんのオーディオに関する書物をほとんど読みつくし、文字どおり心酔しておりました。 強烈な影響を受けました。 (笑) 遺品の個々の装置自体は、他でも目にするものなのですが、例えば無骨な昇圧トランス(117V用)のたたずまいなど、五味さんの愛用された様子が伺え、感慨もひとしおでありました。 とんでもないです。 雑駁なブログですが、お暇がありましたら、またコメントを頂けると幸いです。

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オーディオ評論家としての五味 康祐

五味 康祐

女とオーディオ 「涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味は分からない」 のオーディオ評論の根本には、このの格言に通じるものがある。 「オーディオ巡礼」は、オーディオ評論の形式をとった、いわば私小説なのだ。 が自身の女性関係を告白し、その記憶がアンカーとなり、 「特定のレコードを鑑賞すると筆舌に尽くしがたいペーソスを感じるのだ」という形式のエピソードに本書の醍醐味がある。 が愛したタンノイ オートグラフはもはや廃盤。 レコード時代のアンプやカートリッジをウンヌンしても、懐古趣味にしかならない。 ただ、「人」を主軸に置いたエピソードの魅力は普遍だ。 「微に入り、細に入り」なオーディオ批評が多い昨今、 「なるほど、こんなオーディオの語り方があったのか!」と、 かえって斬新に感じたので、その一部をご紹介したい。 忙しい人のための要約 ウェイトレス目当てで、とある喫茶店の常連になり、なんども聞いた楽曲の思い出。 フランクのソナタは、言う迄もなく名曲である。 LP初期のころ、とカサドジュのこののソナタを聴きに、神保町の名曲喫茶へよく私は行った。 昭和二十七年の秋だった。 ・・・そこの喫茶店のお嬢さんがカウンターにいて、こちらの顔を見るとフランクのソナタを掛けてくれたから、幾度か、リクエストしたのだろう。 ・・・ 最近、復刻盤でティボーとによる同じフランクのソナタを聴き直した。 LPの、とカサドジュは名演奏だと思っていたが、ティボーを聴くと、まるで格調の高さが違う。 流麗さが違う。 ・・・他人にだからどの盤を選びますかと問われれば、「そりゃティボーさ」と他所ゆきの顔で答えるだろう。 しかし私自身が、二枚のどちらを本当に残すかと訊かれたら、文句なく盤を取る。 それがレコードの愛し方というものだろうと思う。 忘れもしない、レコード番号=コロムビアML四一七八。 彼女の面影は盤に残っている。 それへ私の心の傷あとが重なる。 二十年前だ。 二十年前の、私という無名な文学青年の人生が其処では鳴っているのである。 これは、このソナタがフランク六十何歳かの作品であり、親友イザイエの結婚に際し祝いとして贈られた、などということより私にとって大切なものだ。 (フランク《ヴァイオリン・ソナタ》より) 忙しい人のための要約 社会人サークルで知り合った女性とちょいエロ公園デート 曲は、解説するまでもないとおもうが、独自の旋律美にあふれていて、アンダンティーノの部分では抒情味ゆたかな主題は、青春がどんなものかをわれわれに想起させてくれる。 その人は女流ピアニストの卵で、当時まだ二度しか私は逢ったことがなかった。 閨秀歌人の歌会で会った。 短歌という、至って古めかしいところで、しかも自作の歌を和服姿で携えて来た二十代のそんな女性が、まさか、ラモーやを好んで弾く人とは思いも寄らず、合評会で彼女の習作をこっぴどく批評したのをおぼえている。 歌会のあと、偶然、帰る電車が一緒になった。 「先程は有難うございました」彼女はわざわざ私の座席に来て礼を言った。 皮肉ではなく、ニコニコ明るい笑顔である。 私の方が狼狽した。 こちらは無名の文学青年であり、実は、住む家もなく東京近郊の木賃宿を朝食付き五百円あまりで、泊り歩いていたのだ。 陰鬱で、みすぼらしい男なのは誰よりも私が一番よく知っていたし、彼女はあきらかに良家のお嬢さんだったから、笑顔の、歯ならびの白い綺麗な口もとが私にはまぶしかった。 私は「どうも」と、ただ頭をさげた。 こういう時は余計、むっつりと不機嫌になるのが私の悪い癖である。 「どちらまでいらっしゃいますか?」 彼女は訊く。 隣りの座席が空いていた。 あてはない、と私は言った。 私はとにかく新宿までの切符を買っていた。 彼女が前に立って去ろうとしないので、窓ぎわのほうへ席をゆずった。 彼女は並んで腰掛けた。 いろいろなことを話した。 鋭い批評でしたと彼女は言った。 とても嬉しゅうございましたと。 こちらは苦笑いするばかりだ。 でも、そんな彼女がピアノを勉強していること、フォーレのが好きだと聞いて、たちまち私は気むづかしい文学青年から音楽好きな男に変った。 私は譜は読めない。 そういう意味ではシロウトで、彼女は専門家である。 おのずと敬虔になり、色々なことを私はたずねた。 あっという間に新宿に着いてしまった。 彼女は荻窪まで帰るのだと言い、電車の中で私たちは別れた。 翌月の歌会に、あきらかに彼女との再会をねがって私は出席した。 大阪の実家に妻をかえし、孤独な流浪生活をつづけていたこの頃の私に、彼女のバストの強烈な印象を責めるのは、酷だろう。 帰途も一緒の電車に乗った。 車中では歌会の伴が彼女にはあって、ほとんど話す機会がなかった。 新宿で彼女の友達は降りた。 私は車内に残っていた。 三十男の厚かましさで、ひそかに荻窪までの切符を買ってあったのだ。 新宿で降りない私を、ところが、彼女は少しも怪しむ様子がなく、むしろ当然なことのようにそばにやって来て、私と並んで坐った。 まるで恋人同士でしめし合わせたような、そんな歓喜が胸に奔きあがったのを私は忘れない。 「どちらまで?」 と、この日も彼女はきいた。 貴女はどうしますかと私はたずね返した。 彼女は小首をかしげ、しばらく考えて、夜の十時が門限なのでそれまでならご一緒しますと言った。 歓喜が再び胸をつらぬくのを私はおぼえた。 吉祥寺で私たちは降りた。 夜の井之頭公園を散歩した。 私には、妻がある。 私は無名の貧しい男で、東京に住む処もないそんな事情は彼女は女流歌人から聞いていたとおもう。 おもにのピアノ・ソナタの話をした。 はずかしいが私はその曲をまだ知らなかった。 どんどん時間がたち、彼女が腕時計を見たときに、暗い公園の樹影に私たちはいたが、突然、背広の前ボタンを私ははずし、あなたもスーツのその胸をひらいてほしい、と私は言った。 私は腕時計など勿論、もっていず、その背広も実は友人の借り物だった。 歌会で彼女に逢えるのを想って精一杯、私はめかしこんでいたのだ。 私は肯かなかった。 彼女のスーツの衿をおし開けるようにして、白いブラウスの上から、こちらもYシャツの胸を押っつけた。 彼女はにげようとしなかった。 私には妻がある、という古い倫理感は私のような男の中から消えるものではない。 そういう戦前のモラルにわれわれは育ってきた。 私はけっして彼女を抱くことをしなかった。 ただ豊満な乳房に、こちらの胸板をあてがい、豊満さに随喜したのだ。 彼女は小きざみにふるえていたとおもう。 十月末ごろだったともおもう。 牟礼の近くで、たしか、氏の邸の付近だったとおもう。 間もなく私たちは駅に引きかえした。 そこで彼女はプラットホームへ階段を昇って行くのを、改札口の外で私は見送った。 私のほうはそれから、三鷹まで歩いて、駅前のマーケットに近い、生前の氏といちど飲んだことのある飲み屋の二階に、泊めてもらった。 翌月の歌会には彼女はあらわれなかった。 次のときは私のほうで行けなかった。 それきり、女流歌人のその結社は解散され、もう彼女に逢うことはできなかった。 私の放浪生活は、その頃にはもう有り金を使い果たし、上野の地下道で新聞紙を敷いて眠るルンペン生活に堕ちていた。 そんな私が、ふとした機縁でS氏の厚遇に救われ、世に出ることができたわけだ。 彼女への愛を行動できなかった臆病な男は、結局、臆病ではなく誠実のゆえに手を出せなかった、(そうだろう? 彼女はきみを誠実にせずにはおかない、そういう人だったのだろう?)との調べは語りかけてくる。 音楽は、現在のみか過去まで浄めてくれるのだ。 《幻想曲》作品一五九より 忙しい人のための要約 元カノとワンナイトラブしたら、元カノが妊娠しちゃってビビった。 ・・・そこで或る女性にめぐり逢った。 妻と結婚する以前、私の愛しつづけたひとである。 しかし彼女は私を拒みつづけ、その頃もう人妻になっていた。 ・・・彼女の結婚がうまくいっていないらしいことを、言葉のはしばしで私は想像した。 しかし彼女自身はそれに就いては何も語らなかった。 淋しいわ、と言っただけだ。 昔愛した男に、人妻となって、淋しいと洩らす。 どんな懐いがこめられているかは、小説家なら考える。 私は妻を裏切ったことはない。 結婚して四年、ようやくこうもり傘を買ってやれる窮乏生活に、妻を耐えさせて来た。 裏切ることは私にはできなかった。 しかし妻を知る以前から、京都のその女性を私は愛しつづけた。 終戦後の魂の荒廃の中で復員兵の私を支えてくれたのは、その人への憧憬である。 すさんだ私の心は、どれほど、彼女の美しさで洗われたろう。 自分に都合のいいようにしか人間、物事を考えぬものだと今なら言えるが、その時はもう胸がいっぱいであった。 いつの間にか私たちは今出川まで歩いていた。 疲れたのでお茶をのみに入った。 ・・・そして何気なしに彼女と視線が合った。 題名の二羽は、私と彼女を意味しはじめたのである。 私たちが二羽の鳩になった。 アンドレ・メサジェがどんな意図でこの題をつけたか知らない。 そんなことはどうでもいい。 この夜、私は彼女と結ばれることになった。 これは運命だろう。 強引に、私が求めた為にきまっているが、彼女が肯ったのはこちらの想像外の仔細によるかも知れなかったが、とにかく、私は人妻である彼女の体を抱いた。 なにも小説を書いているのではない。 夜が更けて、彼女は家路についた。 送りたいと私は言ったが彼女は送らせてくれなかった。 そこには妻以外の女性との、もう一つの私の人生があるはずだ。 音楽は私にそれを取戻させる。 現実は、併しもう少し過酷にできていた。 一年余りして、彼女との共通の友人を通じ、私は彼女の住居を知ることが出来た。 私は彼女を訪ねた。 其処にはおしめが干されていた。 結婚以来五年間、彼女には子供がなかった。 私達夫婦にもなかった。 彼女は私の子供を産んでいたのである。 これが人生なのか。 鳩は血みどろになった。 そして別々になってしまった。 人は、それぞれの再生装置で好みの曲を掛けて、結局は自分の一生を鳴らしている。 曲を通じておのれの人生を聴いている。 人生をよくするために、せめて音を良くしているのがオーディオ・マニアだろうとおもう。 切ない話だ。 今更あらためようのないものを、せめて、聴覚の体験であらためようとしているのだから。 そういう悔いを知っているのが本当のオーディオ愛好家だと、近頃私は思うようになっている。 (フランク《ヴァイオリン・ソナタ》より) 忙しい人のための要約 離婚して、女子大生と結婚しようとしたけど、やっぱり奥さんを選ぶ。 その後、女子大生は自殺。 ある女子大生と親しくなり、急速にこの親交は深まって、妻への背信に悩む日がつづいた。 ・・・人生には道理どおりには割り切れぬ矛盾したものがある。 考えを突き詰めれば一そうこの矛盾に逢着するが、そういう時、人間は解決のしようのないその事に当面して、もはや回避するか、当って砕けるしか生きようはない。 当って砕けてゆくその胡麻化しのない態度を、劇的というのだと教えてくれた人があった。 私はそういう胡麻化しのない態度を自分の生き方につらぬくつもりだと言った。 京都の人に対する心構えで言ったのだが、結果的には、二十一になるその女子大生への私の立場を意味することになったのだから、世の中は分らない。 妙な言い方をしたが、要するに私は彼女への責任を取ろうとし、妻を実家へ帰した。 彼女をS氏や他の知人に引き合わせ、結婚するかも知れないと言った。 むろん彼女の両親にも会った。 今から想うと私は一人を取っていたようだ。 彼女はまるで《遊び》で私との関係を考えていたらしいから。 したがって、次第に本気で彼女が私との結びつきを考えるようになったのは、私にそれこそ、責任があると言わねばならない。 今はこれ以上くわしいことには触れないが、要するに最後には私は旧の妻をえらび、彼女の両親は慰謝料を請求した。 それを知って彼女は山中湖に投身して死んだ。 弱音器つきの弦の持続音がしっとり朝靄のたちこめる森の曙を描写するが、この奏べを聴くと彼女のことを想起せずにいられない。 いろいろなことがあった。 彼女について綺麗ごとばかりを私は書いてきたが、人間、いかに多感でも尋常のことで入水などするわけはない。 湖に身を投げるにはそれだけの理由があり、理由の大半は私のもたらしたものだ。 こう言っていいなら私は彼女との生活よりは音楽を聴ける生活を取った。 彼女より音をえらんだ。 これまたそれだけの理由が私にはあってのことだが、彼女を突き放したのは箱根に一泊していた時に、羊飼いの息子ダフニスと牛飼いのドルコンがクローエを獲ようと争って踊る話をしながら実は、彼女を傷つける言葉を吐いたのが原因していたと、後になって思い当った。 ニンフにまつわるギリシャ神話の方しか知らなかった。 私は碌に神話のことは知らなかった。 音楽の、それも誰の指揮による演奏を採るかを言っただけであった。 クリュイタンス、、のそれぞれが、クローエを誘惑しようとするリセニオンの踊りの場面をどんな風に演奏しているか、どうしてだろう、それを、むきになって彼女に説明した。 彼女は羊飼いの娘クローエであっても私はダフニスではない。 むしろリセニオンの方だ。 神話では海賊に掠奪されたクローエも結局はダフニスのもとに戻るが、この私は、ついに彼女を傷つけ、死なせてしまった。 勿論私も傷ついたし妻はもっと深い痛手を負ったろう。 神話のことを話しているのではない。 音楽をいい音で聴くためにどれほどの血を流してきたかを、私は書いている。 説明は必要ないとおもう。 聴いてほしい。 どんな説明よりもこの二曲にまたがった私なりな青春と、中年男の愛欲とその醜さを如何に音楽は浄化してくれたかを、跡をなぞるごとくに知ってもらえようと思う。 少なくとも水準以上の音質を出す再生装置でなら、分るはずだ。 自らは血を流さずとも、血を流した男の愛の履歴が眼前に彷彿する、それが音楽を聴くという行為の意義ではないのか。 装置をグレードアップするとは、つまりはそんな再現を容易ならしめることではあるまいか。 (フランク《前奏曲 フーガと変奏曲》作品十八より).

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