福島 原発 吉田 所長。 吉田所長「爆発したら、また死んじゃうんだぜ!」福島原発爆発による死者数(原発再稼働の前に!) : めざまし政治ブログ

死の淵を見た男

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現地対策本部がある免震棟で指揮を執る吉田昌郎所長。 処分は「するかどうかも含めて検討中」 東電広報 フクシマでいったい何が起きていたのか。 菅首相の不作為の罪を問う! 形だけ見れば、最高指揮官である菅直人首相の指示を無視するなど、とんでもない大罪である。 だが、原子力委員会の原子力防護専門部会の専門委員を務めている独立総合研究所社長・青山繁晴氏の見方はまるで逆だった。 「たとえ100万人が非難しても、僕は断固、吉田昌郎所長を支持します」 青山氏は経済産業大臣の諮問機関「総合資源エネルギー調査会」専門委員の肩書も持つ、核セキュリティやエネルギー安全保障の専門家。 原発のリスクについては、12年前から啓蒙活動を行っている。 4月22日、青山氏は東電の許可を得て福島第一原発を訪問した 以下、断りがない場合は青山氏の発言。 「原発事故の対応で何より大事なのが炉心の冷却です。 震災直後は、消火系という火災発生時に使うシステムで真水を注入していました。 しかし、消火系タンクが空になれば注水は止まってしまう。 作業日誌などの資料によれば、震災翌日の3月12日の未明には、吉田所長を中心とした現場から『海水注入に切り替えるべき』との方針が 東京電力 本店に伝えられています。 12日午後0時2分には本店も『注水最優先』と決断している。 これはつまり、海水を入れることで原発を廃炉にしてもいい、という意味です」 同日午後2時53分、タンクの水が尽きる。 だが、直ちに海水に切り替え—とならなかったことで悲劇の幕が開く。 「3月11日夜7時の緊急事態宣言をもって、現場の指揮権は官邸 原子力災害対策本部 に移っているのですが、官邸は何の指示も出せなかった」 午後3時36分、福島第一原発1号機で水素爆発が発生。 だが、この期に及んでも官邸からは何の指示も来ない。 海水注入を巡る会議がようやく始まったのが、午後6時のこと。 だが、6時20分に会議が終了した後もGOサインは出ない。 第一の〝反逆〟はここでなされたという。 福島第一原発に調査に訪れたIAEAの調査員とガッチリ握手 5月27日 東京電力提供 「詰めろ」とは、十分に検討して結論を出せ、ということだ。 この首相の煮え切らぬ指示が、第二の〝反逆〟を生んだことは周知のとおり。 「再臨界は実際には起こらない」と判断した吉田所長は、テレビ会議では沈黙しておいて、独断で海水注入を続けていたのだ。 「おかげで、第二の水素爆発は起きずにすんだ。 格納容器、圧力容器の損傷も最低限で済みました。 冷却に成功し、放射線量が下がり、作業員が中に入れるようになった。 彼が自らを顧みず、日本のためにやるべきことをやったからです」 吉田所長は '55年、大阪府の生まれ。 東京工業大学大学院修了後、 '79年に東電に入社。 3度にわたる福島第一原発勤務を経て、昨年6月に所長に就任した。 すでに何度か報じられているように、相手が上司だろうが、間違った指示には食ってかかる〝豪傑〟として知られている。 「目を保護するためだそうですが、たまにサングラスをかけて対策本部のある免震棟内を歩いているんです。 身長も180cmくらいあって、ちょっとした親分オーラがありますね」 現場作業員 4月22日、福島第一原発を訪問した際に実物と会った青山氏も惹かれた一人。 写真手前の作業員はドア開閉の担当者。 「作業員には連帯感があった」 以下、青山氏と副大臣のやり取りだ。 副大臣「 原子力委員会の 専門委員として『行きたい』と迫ったのではないか」 青山氏「専門委員としての立場を示して、あるいは強調して、または振りかざして東電と交渉した事実は一切ありません。 なぜそれを私に聞くのですか。 何の法的根拠と権限があってのことか」 副大臣「権限はありません。 法的根拠もありません。 ただ、副大臣として聞いておきたいから聞いている」 青山氏「法的根拠も権限もなくこのように聞くというのは私に対する圧力だ! 」 副大臣「東電は『専門委員として受け入れた』と言っている」 青山氏「それは東電の解釈であって、立場を振りかざして交渉した事実はない」 副大臣「個人として行かれたのなら、それで結構! お詫びします。 だけど、私はもう一度、東電に聞いてみます」 これで終わったかと思いきや、後日、捜査当局の幹部から、青山氏は衝撃の事実を聞かされるのであった。 「内閣府の副大臣が官邸に行って、『青山繁晴を何とかしろ』と言っている。 逮捕しろという意味だと思います」 実際に福島第一原発に持ち込んだビデオカメラを片手に語る青山繁晴氏。 「記者を20年やってましたから物凄い数の人と会ってますが吉田所長は5本の指に入る人物」[PHOTO]鬼怒川毅 青山氏が述懐する。 「僕を逮捕するんですか? と聞いたら、その幹部は『とんでもない』と否定しました。 副大臣は守秘義務違反を問題にしようとしているんですか? と聞いたら、『専門委員は国家公務員じゃないから給料を貰ってないし、一般的な守秘義務はないんです。 法的に何の問題もない』と。 その後、官邸周辺の官僚と会ったら、『先生、本当は僕もおかしいと思っていました』と言いながら、ペーパーを私に差し出してきた。 それを見て分かったんですが、副大臣は災害対策基本法第63条---緊急時の対応に必要な者をのぞいて、市町村長の許可なく警戒区域に入ってはいけない---を用いて、私を逮捕しようとしていたのです」 逮捕して、これ以上の政府批判を止めさせようとしていたというから呆れる。 青山氏もそこは心得ていた。 彼を原発に誘った東電社員に事前に確認しているのだ。 「我々は青山先生の知見を必要としているので〝緊急時の対応に必要な者〟ですから、問題ありません」というのがその答えだった。 「広報には内閣府副大臣から問い合わせはきておりません。 ただ、青山氏については、専門委員として来られたと認識しております」 東電広報 全国紙政治部記者が補足する。 「官邸は『東電が廃炉を渋る中、首相が海水注入を断行させた』というシナリオを国民に信じさせたかった。 それが海水注入中断を巡る一連の騒ぎの中でウソだとバレてしまった。 そのうえ、首相が太鼓判を押している収束プランさえも、津波一撃で吹き飛ぶことまで吉田所長の『致命的』発言で国民の知るところになる。 それを何としても避けたかったんでしょうね」 独断は間違いなく英断だったのだ。

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ドキュメント 菅政権が封殺を企んだ「福島第一原発吉田昌郎所長が語る真実」(フライデー)

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福島第一原子力発電所の元所長・故吉田昌郎氏を描く『ザ・原発所長』を執筆するため、2年間の取材を行った。 取材を通して見えたのは、社畜でも英雄でもなく、原子力ムラと東京電力の論理の中で忠実に生き、その問題点と矛盾を一身に背負って逝った、1人のサラリーマンの姿だ。 日本における原子力発電の歴史を重ねることで浮かび上がってきた等身大の吉田氏とは? 前後編で吉田氏の生涯を振り返る。 日本の原発発展史と重なる、その生涯 愛国心の名のもとに、幾多の人が死んでいった戦争から、25年経った今、またもやその言葉が用いられるようになった。 安全保障条約や沖縄問題・北方領土問題をつきつめていくと、必ず出てくる問題、それが愛国心だ。 では、愛国心とは何なのだろうか。 愛国のために、人間が死んでいってもよいものなのだろうか。 集団的自衛権や尖閣諸島という言葉を入れれば、そっくり現代にもあてはまりそうなこの作文を書いたのは、東電福島第一原発の所長だった故吉田昌郎氏である。 中学3年にしては早熟なこの文章を書いたとき、41年後に自らの愛国心を顧みる余裕もないまま、修羅場に立ち向かう運命を背負わされているとは、むろん知る由もなかった。 私は、福島第一原発事故でリーダーシップを発揮した吉田氏が、どのような環境と時代を生きたのかに興味を持ち、2年間の取材を経て、今般『』を上梓した。 吉田氏は、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復した1952(昭和27)年から3年経った1955年2月生まれで、その生涯は、日本の原発発展史と軌を一にしている。 福島第一原発事故の記録を読んで感じるのは、吉田氏のリーダーシップとユーモア、そして芯の強さである。 「限界なんていうなよ。 俺たちがやらないと誰もやる人間がいないんだぞ」と叱咤したかと思うと、「それ、大、欲しいです!」と冗談まじりで本店とやり取りをする。 誰もが怯えた菅首相に対しては一歩も退かなかった。 吉田氏が小学校時代に 住んでいた松屋町筋の公団住宅 リーダーシップは一人っ子ゆえの我の強さ、ユーモアは吉本新喜劇、芯の強さは大阪の商業地区の厳しい躾からきているようだ。 この3つの特質は彼の生涯を通じて見られる。 大阪のミナミのすぐ東側に松屋町筋という、菓子、玩具、紙器などの問屋や小売店が軒を連ねる商店街がある。 米軍の爆撃で一帯は大半が焼失し、今でも路地や長屋や地蔵の祠が多い。 吉田氏が通った金甌(きんおう)小学校の地下には、立ち入り禁止の防空壕跡があった。 近くの空堀商店街は、江戸時代から続く活気に満ちた庶民の市場である。 子どもの躾は、どこの家庭も大阪商人流で非常に厳しく、大人たちは、よその家の子どもでも遠慮なく叱り付けていた。

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原発事故9年、吉田所長の宿命と旧経営陣の無罪

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吉田昌郎元福一原発所長の食道癌死は放射能障害が原因だと思われます。 なのに、フクシマ原発事故とは関係ないとして片付ける東電などの態度は、異常なペテンだ。 日本の原発行政がインチキで行なわれている。 それは、「100%そうだと証明されるわけではない」と言う言い方をすれば、99,9%可能性のあることでも「ない」として否定できてしまうし。 その逆に「可能性はゼロではない」という言い方をすれば、0,1%しか可能性が無くても「ある」として強引に肯定にしてしまうことができる。 そして政官財原発利権結託が原発利権を貪って来たし、今後も貪り続けようとしている。 「ただちに(放射能の)影響があるというわけではない」といった変な言い方があった。 デタラメ斑目前原子力委員長の言い方は「AはBだというわけではない、AはCというわけではない…Dというわけではない…Eというない…Fない…」という言い方をして、絶対に「AはZだ」とは言わない、という言い方をすれば、質問者の方でウンザリしていた。 まさに、そういうインチキ・デタラメ・ペテンの運営がフクシマ原発事故の原因ではないか。 生きている人はすべて食道にガンがあるのです。 すなわち、すべての人は食道ガンです。 そのガンを時々刻々と克服して生命状態を持続してゆくことが「生きる」ということです。 なんらかの影響で、 ガンを時々刻々と克服しつつ生命状態を維持してゆくことできなくなる時、 人はガンによって死ぬのです。 ガンである=生きている、です。 したがいまして、ある人がガンで亡くなった時、 その死因は「ガン」であると言うこともできますが、 生きておられたことが死因であると言うこともできます。 吉田所長が亡くなられたのは、 吉田所長に働いたなんらかの影響のせいではなく、 吉田所長がガンであったから、 つまり、吉田所長が生きておられたからなのです。 この論理 … どこか異様ではないですか?? (医学的にガンであるとは「ガンを時々刻々と克服しつつ生命状態を維持してゆくことができなっている時」と捉えれば客観的と言えるでしょうか。 ) 福島第一原発で原子力建屋の水素爆発事故が起こったのが、2011年3月12日 吉田所長が食道がんの診断を受けて退職したのが、2011年12月1日 もしも吉田所長のがんが、福島第一原発の事故を原因として起こったものならば「早期発見」といって良く、死に結びつくようなものじゃない、従って原発事故とは関係ない、というのは誰が見たって分かる話。 そもそもの話、所長が原発事故を契機としてがんを発症したのならば、同時期に福島原発の最前線で事態収拾にあたっていた他の職員も発症していなければおかしい。 従って吉田元所長の死因は被曝ではない。 ていうか質問文「被爆」って書いてあるし…(それじゃ爆撃機に空襲されて死んだ事になってしまいまんがな)。

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